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【韓国・北朝鮮国境】DMZツアーに参加してみた

今年7月に韓国-北朝鮮の国境・板門店(パンムンジョム)で起きた事件をご存知だろうか。板門店見学ツアーに参加していた在韓米軍の兵士が、周囲のセキュリティの隙をついてダッシュで越境し、北朝鮮側に入国したというニュースだ。以降、ツアーは中止され、今なお再開の目途は立っていないとのことだが、国境よりやや手前のDMZ(DeMilitarized Zone = 非武装地帯)のバスツアーであれば、参加できると知り、実際に行ってきた。

DMZとは、停戦状態にある国家間の軍事衝突を防ぐために設けられた非武装地帯で、38度線から南北に2km、計4km幅の帯状地帯だ。ツアー参加者は約60名で50名が英語圏民、残り10名が我々日本人といった内訳だった。大都市・弘大(ホンデ)からバスでおよそ1時間。徐々に殺風景になっていく車窓を眺めながらバスは北へと進む。

途中で立ち寄った「臨津閣(イムジンガ)平和公園」は、38度線から7km地点にある。そこに建つ「平和の鐘」は、朝鮮戦争で使われた武器など溶かして鋳造されたもので、毎年お正月になると、平和を祈る人々が多く訪れるそう。極彩色が青空に映える素敵な鐘楼だったが、その中心に吊るされている鐘は、文字通り人の命によって作られたもの。1日でも早くこの世から争いがなくなりますように。

またこの場所には慰安婦像が2体並べて置かれている(予め断っておくと、この文章に政治的な意図や批判は込められていない)。この像自体は国内各所に置かれているのだが、2体あるのはここだけらしい。ガイドさん曰く、これには「いつか南北が統一された時に北側に1体分け、同じ苦しみを共有する」という意味が込められているらしい。

「臨津閣平和公園」を後にし、さらに北上すると、いよいよDMZに到着。ここで韓国軍人がバスに乗り込み、ツアー客全員のパスポートと実際の顔を照合していく。少し見にくいが、下の写真の青のゲートがDMZの検問所だ。

ツアー最大の目玉「都羅(トラ)展望台」は、38度線から約2km地点の高台に位置し、肉眼でDMZ全体、そしてその向こうに広がる北朝鮮を眺めることができる。展望台は地雷地帯とほとんど隣接しており、「MINE(=地雷)」の看板を見つけたときは、背筋に寒気が走った。

戦時中、この雑木林一帯に、飛行機から数万個の地雷が撒かれ、その絶望の雨は未だに回収されていない。おまけに1つあたり3,400gしかないため、暴風で飛んでいってしまうこともあるのだとか。実際、かつては近辺に住む方が山菜を取りに山に入った際に、地雷で片足を失ってしまった事故があったらしい。

備え付けの望遠鏡を使えば、街並みや生活する人々も含めてくっきりと北朝鮮を目視できる。下の写真は望遠鏡にスマホカメラを当てて撮影した。

展望台は極寒だが、この風のおかげで国旗がきれいに撮れている

写真は撮れていないが、我々の見学と同じタイミングで、韓国軍人100名ほどが展望台にやってきた。全員、私と同い年くらいの新兵に見受けられ、ガイドさん曰く、入隊したばかりの方々は、まず初めに南北の歴史を学ぶことから始められるとのことだった。

ちなみに徴兵期間は18ヶ月。対象は男子のみで、①障がいを持つ者、②世界トップクラスのアスリート、③統一村と呼ばれる南北軍事境界線付近に住む村民、以外の人間は徴兵に行くことになる。これも全て、朝鮮戦争が停戦状態に過ぎないがゆえ。既に70年経つというのに、その70年前の出来事に縛られて、貴重な18ヶ月が奪われてしまっている。数十年前までは36ヶ月だったらしいから、少しは改善しているとはいえ。

話を戻して、今この展望台にいるのは、物見遊山で来ている我々と、当事者として来ている新兵の方々。生まれる座標がほんの少しずれるだけで、こうも人生が違ってしまうのか、と愕然とした。徴兵がない自由主義国家に生きる1人として、このインパクトは人に伝えていくべきと痛感した。

次に「第3トンネル」という、かつて北朝鮮軍が韓国に奇襲をしかけるために掘った地下トンネルを訪れた。ここは写真撮影が禁止されていた。観光サイトには、全長約1.6km・幅2m・高さ2mと紹介されているが、実際には内側に補強のための骨組みが設置されているので、人がギリギリすれ違える程度の幅と、腰を屈めるのが必至の高さしかない。ヘルメットを着用してトンネルを下っていく。

内部は通年で18℃前後とそれなりに温かい。今回はそれに加えて多数のツアー客や、先ほどの新兵一同がいたため、空気が蒸されていた。かつてはトンネルの中で酸欠で倒れた人もいるらしく、閉所恐怖症の人にはおすすめできない環境だ。壁を見てみるとダイナマイトで掘削した痕跡が無数にあり、その向きからして、北朝鮮側から韓国側へと掘られたのが分かる。一撃一撃に戦時下の執念のようなものを感じた。

15分ほどで最深部に到着。そこには厚い石板が立っていて、これ以上先には進めないようになっていた。この奥にはさらにもう2枚同じ石板があるそうで、北側が奇襲してきたときの時間稼ぎの役割を担っているらしい。

最深部の壁には「北朝鮮まで200m」との英字看板が掛かっていた。もう走れば30秒程度の場所まで来ている。絶対にない話だが、もし今壁の向こうから、足音が聞こえてきたら...このトンネル内は阿鼻叫喚の地獄絵図に変貌してしまうのだろう...想像するだけで気がおかしくなりそうだった。

ツアーの最後は統一村の近くの土産屋に寄った。事前に見ていたネットの口コミでは、この辺りで北朝鮮の貨幣が購入できるとのことだったが、見た感じ置いてはなさそう。ガイドさんに直接聞いてみると、あれは違法なお土産で、本当は売っても買ってもいけないと説明された。なんとなくそんな気はしていた。

ということで、妥協の切手を購入。当然、北朝鮮から韓国へ直接卸されたものではなく、一旦中国を経由して、その後もいくつかの国を経由して、最後にここで販売されているとのことだった。

かくしてDMZツアーは無事終了した。板門店ツアーが突然中止になったように、このツアーも明日には行けなくなってしまうかもしれない。危険と隣合わせなのは否めないが、現地の殺伐とした空気とガイドさんの丁寧な解説のおかげで、かなり実のある体験ができた。送迎付き、7時間ツアーで6000円程度だったので、興味と勇気と好奇心がある方は行ってみてはどうだろう。

文責・尾道

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