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【外伝】江之浦測候所探訪記 Ⅳ


完結編です!

 夏日によって清々しく汗ばんだ身体はお風呂をもとめていた。欲を言えば温泉を。この点においては全員の見解が一致し、晴れて次の目的地は小田原市街の銭湯になった。

さようなら


 銭湯までの運転は、半年前に免許を取得して以来、数えるほどしかハンドルを握っていないという伊勢佐木が務めた。Google マップによって提示されたルートは最短距離を重視したなかなかの悪路であり、伊勢佐木は悪戦苦闘、助手席の尾道が一定のトーンでアドバイスし続けていて、前列はさながら教習車のようだった。一方、後部座席では、発声しているときに背中を太鼓のように叩かれると勝手にアクセントがつくことを利用して遊んでいたため、空間の温度差が激しかった。

港町


 「さぞ風評被害を受けていることだろうから貢献しなければ」という理由で選んだコロナの湯は、大型ショッピングモールの一角を占める立派な銭湯で、我々のはからいは杞憂に終わった。

 入湯料は1,000円と、僕たちの地元の銭湯の倍だった。その代わりにシャンプーと別でリンスがついていたり(地元はリンスインシャンプー)、シャワーの水量を調節できたり(地元はボタンを押すと10秒くらい出て、自動で止まるシステム)、かゆいところに手が届く設計に感動した。でも、地元の銭湯はここの半分の利益で運営していることを思うと、捨てたもんではないなぁと、勝手に不満を抱いて勝手に見直した。

コロナの湯 小田原店 HPより


 サウナでととのい、露天で天を仰ぎ、電気風呂でぴくぴくしと順調に温泉を堪能していたが、ここでレンタカーの返却時間が着々と迫っていることに気づいた。小田原で夕飯〜などと悠長なことを言っていられない現状をはらいのけるように、きびきびと服を着て車に乗りこんだ。とはいえ、風呂あがりのアイスは欠かせない。短距離走者の室蘭の運転で最寄りのコンビニへと針路をとった。


 各々の至福の風呂あがりを具現化したところで、運転席に尾道、助手席に僕というおなじみの布陣で一路横浜を目指した。


 後部座席で釧路の即席マッサージ屋が開業するなか、尾道とは、遊歩倶楽部に【外伝】という制度を導入したことで、これからは日本巡行以外のいろんな企画を記事にできることに期待を膨らませたり、逆に今日の江之浦探訪を記事にできることを失念していたために要所要所で写真を撮り忘れたことを嘆いたりした。


 (右手には月光を返して淡く煌めく太平洋が広がっていた。その清楚な光景に後部座席の面々がどよめく。尾道は運転しているからじっと前を見すえている。にわかに開け放たれた窓からたけだけしい夜風が車内に吹きこんでくる。対向車線のヘッドライトが車内を燦然ときわだたせ、一段暗い夜に塗りかえていく。ここには一過性の時間が流れている。すべてが揃っているような気がするのに、それを固定することは叶わない。尾道がハンドルを誤らないかぎり、永遠に通過点のままでひっそりと日々は終わっていく。)


 横浜でレンタカーを返却すると、伊勢佐木が置き土産に残していったおすすめの中華屋さんへ、尾道、釧路、室蘭と向かった。

 鏡面の球体オブジェで遊んでいると、そこはもう「ドラゴン酒家」の前だった。はらぺこ同盟の下、油淋鶏、ジャッキー飯、黒酢酢豚、青椒牛肉絲の四品を分け合って団欒とする。おとなしくジョッキでお冷やを飲んでいると、この頼りになる剛健な器っぷりに既視感があることに気づいた。どこで見たんだろう。この感覚と照らし合わせながら記憶をぺらぺらめくっていると、それは最近のところに見つかった。

竹である。

 縁が厚手なところも、普通のコップよりやや太いところも、一節分の高さもそっくりだ。どうやらこれは、「竹のジョッキ」という珍品を作れてしまいそうだぞ。早速釧路とアイデアを共有して、おおまかなプランをひと練りした。よし、今年の夏には「竹のジョッキ」でラムネをがぶ飲みしよう。

おすすめのドラゴン酒家!


 はらぺこ同盟を解消したあとは、もいちど鏡面のオブジェで遊び尽くし、掌を下部に近づけつ離れつするとドッペルゲンガーと対峙している心地になることを発見した。未知の感覚で心臓の肌にビッグウェーブをもたらしたところで、そろそろと迫る終電へ急いだ。室蘭とは横浜駅にてグッドバイ。


 眠気と火照りと倦怠を三角食べしながら時間をやり過ごし、午前一時に最寄り駅に到着した。

 夜はすでに更けていながらも、怒涛の一日にどことなく昂揚していた僕たちは「このまま朝まで過ごせば丸々24時間遊んだことになるね」などとのんきなことを言いつつ、家路に就こうとしていた。するとそのとき、交差点で、ある人物に話しかけられた。


「〇〇駅はどっちですか、、、」

 その声の主は、八十過ぎのおばあちゃんだった。


 どう考えても深夜1時に出会す類の人ではない。電車はもう終わってしまっていることを伝えても要領を得ない様子で、まさかと思って深夜1時であることを告げると、「8時くらいじゃないのぉ」と信じられない!という顔をしていた。

 心配になって家の場所を聞くと、まあまあ遠いが歩いて行けない距離ではなかった。このまま放ってはおけないので、3人で家まで送ることにした。今になって思えば警察に通報するといったよりよい手段もあったが、このときは目の前のおばあちゃんをどうにか家に帰さなければという思いが先走って考えが至らなかった。


 一緒に歩きながら、娘とは離れて暮らしていることや、昔訪れた島の思い出などを聞いた。おばあちゃんの歩調はゆっくりだったが、体力はあるようで休むことなく歩けていた。

 しかし、しばらくすると同じ話を何度もくりかえすようになり、認知症が進行していることを知った。「認知症の場合、自分が疲れていることにも気づけないことがあるらしい」という釧路のアドバイスを聞いて、ところどころのベンチに座って休みながら、おばあちゃんの家を目指すことにした。


 途中で、おばあちゃんが徘徊していたことを役所などの然るべきところに報告した方がいいことに気づき、苗字を教えてもらった。名前は防犯の意識からか教えてもらえなくて、報告するには不都合だけれど、詐欺とかへの対策意識があることにはすこし安心した。

 ついでに年齢を尋ねると、「いくつだと思う?」と聞かれ、若く見積もって答えると「あら〜、優しいのね〜」とオトす鉄板のやりとりを交わした。この種類の会話には、ジェネレーションギャップが存在しないことがおもしろかった。


 休み休み歩いていく。おばあちゃんの家へは最短ルートで向かっていたが、道が暗いとわからなくなるようだった。何度もこの道があっているのかを確認していて、その度に安心してもらうのが大変だった。この様子では、暗くなってから自分の家へ帰ることはできないだろう。

 そんなこんなで2時間ほどかけて、おばあちゃんを家に送り届けた。最後、ちゃんとドアの向こうに消えていったのを目にしたら緊張の糸が一気にほぐれ、安堵と疲労でくらっとなった。尾道と釧路と目線を交わし、大きく息を吐いた。達成感もあったが、得体の知れない茫漠とした影が心を占拠していた。ひとまずコンビニに行って、赤いきつねを食べた。

 うどんをすすりながら、3人ともおなじ感覚と対峙していた。

“もしあのとき、おばあちゃんが僕らと出会わなかったら”


 おばあちゃんは自分で家に帰ることはできなかった。5月とはいえ、夜はぐんと冷えこむから、万が一ということもあり得た。高齢化の進む街では、迷い人の市内放送をよく耳にする。今日会ったおばあちゃんの名前が履歴にないかと思って市役所のホームページを調べると、多くが迷い人のお知らせと発見の報告がセットで並ぶなか、発見がないものも少なからず存在していた。それは、そういうことなのだ。


 日本が高齢社会で、お年寄りが増えているということは頭ではわかっているつもりだった。でも、高齢社会では、日常の延長のちょっとした具合で命を落としかねない人がいることはわかっていなかった。そしてさらに問題なのが、その事実に気づいたからといって、この状況を改善する術を自分が持ち合わせていないことだった。


 もちろん、「毎晩パトロールをする」「迷っていそうなお年寄りには積極的に声をかける」など、微力ながらやりようはある。でも、現実的に不可能なものも多い。自分にも生活というものがあって、残酷にもそれと天秤にかけることになる。人の命がかかっていながら!


 社会の抱える問題は解決されてしかるべきだ。しかし、一人の人間がいくら尽力したところで解決できるものではない。月並みな表現だが、一人一人が意識して行動しなければ不可能だ。でも、先述したように、一人の人間がいくら尽力したところで徒労に終わってしまう。なら、どこまで。

 これは当事者性の問題だ。

 社会問題は、「自分ごと」として捉えられる範囲まで取り組むべきだと思う。行動しなければ自己嫌悪が募る。背伸びをすれば虚無に陥る。ならば、自分が強い思いでもってできるところまででいいから、行動に移す。さすれば、すこしずつ、良い方向へ傾いていくはずだ。


 今日僕たちは徘徊するおばあちゃんに会った。“僕たちの出会った”おばあちゃんがまた家に帰れなくなることがないように、対応してくれる機関に早急に連絡しよう。


 空が白みはじめるなか、疲れた体をいたわってリポビタンDで乾杯した。心に渦巻いていたもやもやが、すこしだけ晴れた気がした。


〈追記〉

 後日、尾道と公共の高齢者支援センターに連絡したところ、会ったおばあちゃんを支援対象としてコンタクトをとってくれるという。また、娘さんや介護担当の方からのお礼の電話もきて、これからは今まで以上に密にコミュニケーションをとるようにするとのことで、ひとまずの落着を見せた。

・メンバー
明石、尾道、伊勢佐木、釧路、室蘭


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