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【初心者向け】意外と知らない『ベリーダンス』の言葉の誕生秘話 その2


3:ベリーダンスの名付け親となった“ソル・ブルーム”とは何者??


Sol Bloom(ソル・ブルーム)

1870年ニューヨーク出身

ソングライター、楽譜出版、アメリカの政治家まで勤めました。

そして、シカゴ万博の『ミッドウェイ・プレザンス』区域の支配人に任命された人物でもあります。

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へー

やり手ビジネスマンだったのね!

⑴なぜ、シカゴ万博にダンサーを?
ソイ・ブルームは

シカゴ万博(1893年)の一つ前、パリ万博(1889年)で

北アフリカや中東のダンサーがアトラクションとして成功したのを見て

「これらのダンサーはアメリカでもウケるぞ!」と確信したそうです。

実際にソイ・ブルーム本人の記述

"私は、これらのダンサー、曲芸師、ガラスを食べる人、サソリを飲み込む人のようなものは、
西半球では見たことがないと知っていました"
"私は、米国で彼らを使って大金を稼ぐことができると確信していました"

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さすが

やり手ビジネスマン!

要は「これらを使ってお金儲けしてやる!」って考えたんだね

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しかも当時19歳!

イケイケどんどん!だね♪




そして

ソイ・ブルームは

その芸人たちを北米と南米でショーに出す2年間の独占契約を結んだそうです。

⑵なぜ、わざわざベリーダンスと言ったのか?


ブルームは回顧録の中でこのように述べている。

「直訳が『ベリーダンス』だと知ると、大衆は喜んで、
それは卑猥で不道徳なものに違いないと結論づけた。
私は金鉱(大金)を手に入れたのだ 」


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もう完全にソイ・ブルームの思うツボだねw

この商売人め!って感じだよね

ですが、他にも

「官能的で刺激的、リズムと美の傑作」と賞賛した。とも述べている。

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まぁ、ベリーダンスの演目に力を入れていたのは間違いないみたいね

シカゴ・トリビューン紙に寄せた手紙の書き手に、その動きを「腹部の旋回」と表現する者もおり、

またプリンストン・ユニオン紙の記者は、「地獄のような歪み」と「ベリーダンスと呼ばれる忌まわしいもの」と書いた。

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まとめると

みんなの最初の関心を集めるために

わざわざ『ベリーダンス(お腹の踊り)』と言ったんだろうね

そして、

アメリカ人にベリーダンスを紹介しただけでなく、

ブルームはもうひとつのアラビアン・ファンタジーを作り出したと主張している。

万国博覧会終了後、

ソイ・ブルームは芸能活動を続け、

長年にわたり楽譜の出版や販売の仕事に携わっていたそうです。

1922年、52歳の時に政界入りし、ニューヨーク19区の民主党下院議員に当選!

ベリーダンスについては、他のプロモーターが

すぐにその成功に走り、全米の遊園地やカーニバルに登場するようになったとか。
1923年から1949年に亡くなるまで、

マンハッタン西側地区で14期にわたり合衆国下院議員を務め、

アメリカの外交政策にとって重要な時期にあった。らしいよ!

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ひえー

最後まで凄い経歴を残した人なんだね

4:胃の踊り?お腹の踊り?


⑴他国から名付けられた“ベリーダンス”

ベリーダンスの言葉を広めた一人のアメリカン人。

シカゴ万博のディレクター「Sol Bloom(ソル・ブルーム)」

ソル・ブルームは当時フランス人が使っていた

フランス語の

「danse du ventre(ダンセ・デュ・ヴァントル)」を英語直訳で

『belly danceing(お腹の踊り)』と説明した。

初期のアメリカ人は

"The Abdomen Dance" または "Stomach Dance" と呼んでいた中、

最終的にほとんどのアメリカ人は "belly dance(ベリーダンス) "と呼ぶようになった。

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まぁ、言い方が違うだけで

どれも意味は一緒なのかな?

ある記事にはこんな事が書かれていた。

これは初代リトル・エジプト(ファリダ・マザール・スパイロプロス[ダンサー名:ファティマ])が
エジプト劇場で悪名高いソイ・ブルームのために踊ったときに、
"ベリーダンス "という言葉を作ったのは彼であり、誤記である。

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悪名高いって

ソイ・ブルームって人、嫌われてたのかしら?

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この記事は

ファティマとブルームが作り出した踊りであって

もしかしたら、伝統的な踊りを

“ベリーダンス”と言う安易な言葉で片付けて欲しくない

って気持ちがこもっているのかもしれないね

ちなみに

フランス語の「danse du ventre(ダンセ・デュ・ヴァントル)」=直訳:ベリーダンス(胃,下腹の踊り)と言う言葉は

18世紀頃、

フランスの探検家達が旅をしている中で、

腹の部分がとても印象的に動かす踊りを目の当たりにし「danse du ventre(ダンセ・デュ・ヴァントル)」と言ったのが始まりだそうです。

1832年に北アフリカを訪れたフランスの画家ドラクロワは、この踊り手について次のような感想を述べている。

彼らは千差万別の点でより自然に近い。
その服装、靴の形。
だから、彼らが作るものすべてに美が宿っている。
コルセット、きつい靴、ばかばかしいほど
窮屈な服を着ている私たちは哀れです。

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自然に近いって、私たちは哀れって、

このフランスの人は

縛られた人生をおくってたのかしら?

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やっぱ、どの時代も

社会に縛られず、自由に生きたいのかもねー

今も昔も変わらないのかも

18〜19世紀の当時、

「エドワード・レーン」や「フローベール」といった中東を旅したヨーロッパ人が、

エジプトの「Awalim(アワリム)※」や「Ghawazi(ガワジー)※」など

そこで見た踊り手について幅広く記述が残ってました。

ちなみに初めて「danse du ventre(ダンセ・デュ・ヴァントル)」と言った人物までの記述は見当たらなかったです。

※Awalim(アワリム)・・・日本で言う花魁や女芸人の階級の人達で、貴族階級の王室で踊っていて、唯一王様の前で踊ることを許されたダンサー達

※Ghawazi(ガワジー)・・・エジプトの先住民のプロのダンサーの一部

いずれにしても、他国からしたら

器用に腹部を動かす踊りは、

当時はとても斬新で珍しいものだったのが分かりますね!

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気づいたかも知れないけど

結局のところ、

フランス人やアメリカ人が

後から作った名前だったって事だよねw

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確かに!


⑵“ベリーダンス”でなく、現地の呼び方は?

現地

アラビア語圏では「Raqs sharqiラクス シャルキ or Raqs Shaabiラクス シャービー」(東洋の踊り)

エジプトでは「Baladiバラディ」(直訳:国の、田舎、郷)“私の故郷の踊り”と呼ばれています。

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と言うことは

正しく英語で直訳すると

『oriental dance オリエンタルダンス』=東洋の踊り

がしっくりくるのかな?

では、なぜ

現代『ベリーダンス』と言う言葉の方が浸透しているのか?

それはシカゴ万博後もベリーダンスを踊った“リトル・エジプト”達の踊りが

人々にかなりの衝撃を与え、強い印象を残したからだと記されています。

爆発的に人気になり、ブロードウェイやハリウッド映画、テレビ番組など、多くのメディアに出て

一大ブームを起こしたそうです。

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なるほど!

その影響を受けて『ベリーダンス』と言う言葉は

世界中に浸透していったんだね

5:現代も“ベリーダンス”の言葉を巡って議論が絶えない?


ベリーダンスの語源となった

フランス語「danse du ventre(ダンセ・デュ・ヴァントル)」という言葉には、

もともと人種差別的な意味合いがあった。と示す記事もありました。

ベリーダンスという言葉を使うべきかどうか、という議論までに。

全体と、その部分の孤立した調和のとれた動きに基づいて、他のダンスでは他に類のないものなのです。
この用語が連想させる性差別的で、オリエンタルダンスを破壊的に単純化している。

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“孤立した調和のとれた動き”

繊細さが言葉で伝わってくるね

だからこそ、単純化=過小評価しないでほしい

と思っているのだろうね

そのため、“ベリーダンス”という言葉を使うべきかどうか議論が絶えず

ある人は、

ベリーダンスを避け、オリエンタルダンスに置き換えるべきであり、
そうすれば、ベリーダンスにまつわる誤解を解くことができると考える。


またある人は、

ベリーダンスという言葉は、このダンスフォームを命名する最も有名な方法であり、今では人種差別的な意味合いを失っているため、このままでよい。


と、意見はさまざま。

ちなみに

アラビア語でオリエンタルダンスを意味する「Raqs sharqiラクス シャルキ」(東洋の踊り)は、

最近、ある特定のスタイルを指しているようで、Raqs shaabi(ラクス シャービー)、Baladi(バラディ)、アメリカントライバルなどのダンスは含まれていない。と。

ベリーダンサー兼講師の『Andrea Deagon's(アンドレア・デゴン)』は、このダンスを“SITA(トルソー・アーティキュレーションに基づくソロ・インプロヴィゼーション・ダンス)”と呼ぶことを好んでいる。

私はこの言葉が好きですが、私たちが「ベリーダンス」と呼ぶもののすべてのタイプに当てはまるとは思いません。例えば、トライバルはグループで行われますし、ラクシャビも原産国以外で行われる場合は、即興ではなくグループで、振り付け通りに行われることがあります。

また、SITAは、モロッコのShikhatなど、私たちが「ベリーダンス」とは考えないようなダンスフォームを指すこともあります。
ですから、このダンスジャンルに何が含まれるのかを正確に定義することは、まだ難しいと私は思います。

ベリーダンスをひとつのジャンルとして語るのではなく、ラクス・シャールキ、アメリカン・トライバル、ラクス・バラディ、サビなど、これまでひとくくりにされてきたダンスを分離し、共通のルーツを持つ、別のジャンルとして扱うべきかもしれませんね。


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すごく複雑で

一言で片付くような話題ではないけれど

それほどに奥深く、みんなに愛されている踊りと言うことは

とても伝わったわ

いろいろな議論もあり、

その結果、英語やハンガリー語ではオリエンタルダンスや東洋舞踊という名称が定着し、

エジプトのダンサーやマスターが国際的に存在感を増してきたおかげで、

本来のアラビア語の名称であるラクス・シャルキも広く知られるようになってきたそうです。


6:まとめ/今も愛される“ベリーダンス”


ベリーダンスはさまざまなダンススタイルが混在しているため、その起源もまちまち。

それはベリーダンスが最も歴史があるダンスだからでしょう。

多くの専門家も、ベリーダンスは最も古いダンスの形態の1つであると信じています。

ベリーダンスの進化

現在、ベリーダンスは世界中で楽しまれており、ほとんどの国で教えられています。

音楽と動きに喜びを見出し、国境を越え、

言葉を交わさずとも、即座にダンスだけでコミュニケーションが取れます。

素晴らしいコンテンツだと私は絶賛します。



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ダンスで繋がるコミュニティー!素敵だね!

ちなみに

ベリーダンスの起源については諸説ありますが、

現代の多くの人々は単純に動きを楽しんだり、パフォーマンスを楽しみながら観覧しています。

歴史など知らなくても

今でもしっかりと人々に愛されているベリーダンス。

今後もベリーダンスが絶えず、人々を楽しませてくれる事でしょう。

そして、この記事を機にベリーダンスに興味を持ってくれたり、

更にベリーダンスが好きになって貰えたら幸いです。

よい、ベリーダンスライフを♪

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