見出し画像

去った弥生を振り返る

 ふと気がついたらもう4月になっていた。ウソだろちょっと前まで雪降ってたじゃん、まだ気分としては2月の後半くらいだよ、なんて無茶な嘆き方をしてみても年が明けてからはや3カ月、一年のだいたい25%が過去の彼方に消え去ってしまったのは紛れもない事実で、ここからチキューの動きを止めたり公転軌道を遡ったりもできない。なんなら今年はうるう年であるから例年よりも一日多かったはずだのに、時が過ぎていくのはやっぱり早い。

 も変わらずそんなに大したことはしてないしこのnoteにもそれほど含蓄に富んだ話を書いているつもりもない。PVに関してはやや落ち気味で、体調の安定しない日がそこそこあるものだから先月先々月と比べると3月は記事の数が少なめ、それに応じてPVも、となるのは致し方ないところだ。あんまりサラリーマン業に穴空けるわけにもいかない。ちょっとばかり想像でもしてみると、より分かりやすいだろう。『趣味のnoteに心血注ぎすぎて体調が悪いので仕事休みます』なんて言われたらだいたいの経営者や同僚は引く。

 れでも間隔開けながらでも好き放題書くのを続けてみて、じゃあ2月以上の、というか2月に見出したのとは違う気付きなどあったのか、といえば案外見つかるものだから振り返り、自分を省みる、というのは大事よな、と思うばかりだ。記事少なめPV少なめ、それ以外でのプラス要素とは何かといえばフォロワーの数、新たにフォローしてくれた方たちの人数である。
 つい記事に関わる数字ばかりに気を取られて着目するのが遅れてしまったが、またまた登場のナオさんを皮切りに3か月で90人ちょっと、まあ少ーし大げさに言ってしまえば約100名の方にフォローしていただけたようだ。とはいえ私の力は微々たるもの、共同マガジンと、それを主宰する各リーダーの力にずいぶん助けてもらっている。これが本当に一人だったなら、一割が関の山じゃなかったろうか。

 SNSでのフォロワーの数は檻の外から中の動物を眺める傍観者の数、なんて言説を目にしたことがある。それ自体を否定もしづらい。しかしながらここはnote、発信をしたい人がいて、それを応援したい人がいる、ユーザーごとに少々の多寡はあっても、数字の先には何らかのこころざしを抱いて集った人間がいると信じてみたいじゃないか。書かれた記事には、言葉にはそれだけの力があると。お互いの熱意を惹きつけ合う何かがあると……。

 PV数に対するスキ数の割合はほぼ横ばいに見えるものの、ごくごく僅かに上昇している――というのはまあ希望的観測といったところが大きいものの、やっぱり読んでもらえてポチリと押されるのはノベルなりエッセイなりの何らかストの冥利に尽きる。白紙のページに価値を見出すのは芸術家か哲学者、あとは束見本作る人くらいだろう。
 記事がなければ始まらないが、見られなければ始まったそばから終わる。目に見えやすい数字に出ているだけ分の感謝とともに、誰かの記事を読みに行くことで恩を送っていきたい……いやまあ、自分の記事で手一杯なことのほうが多いのもまた確かではあるのだけど。

 うして見ると、早い短いと言いながらも毎月着実に何かしらは変わっているのかしら、と改めて感じた今日このごろ。千里の道も一歩から、初心忘るべからず、とはよく言ったもんだ。いつまで経っても初心のまんま、ではいただけないといえ、振り返りたいと思ったとき、そうする必要があるときにはいつでも思い出せる場所に置いときたいね、初心。

この記事が参加している募集

最近の学び

読んでいただきありがとうございました。よろしければサポートお願いいたします。よりよい作品づくりと情報発信にむけてがんばります。