愛を求めるより、愛を持つこと

好きでいた人の悪い部分を切り取って、ひどい人だったと過去にするのは好きじゃない。

虐待やDVなどを受けた事がない平和の中で生きてきた人間の思考かもしれないけど、幸せな時間をもらった事は事実だ。付き合いをやめるやめないはまた別問題として考えなければいけないけど、幸せだった事自体を、忘れてはいけないとわたしは思っている。

思い出して切なくなって、今その幸せが手元にない事を嘆くのは、人間なので仕方ない。その行為は想像を絶する苦しさで、それを経験すると幸せが手元にある時ですら、いつか失う事を考えて怖くなってしまう。永遠の愛は存在しないというnoteを過去に書いた。心変わりしない人間が存在しない事実を非常にナイーブに捉えていた。


最近、生涯会えないはずの人に、急に会えるようになった。
目の前に存在している事が不思議で、ずっと夢見てた事だったはずなのに、現実の私はその幸せを噛み砕けないまま、中身のない会話で時間を埋める。

その日はまた別の大事な人にも会える予定があり、あんまりに幸せだったので、その移動の時間に今死ねたらいいのにと願ってみた。幸せの間に死ねるならその幸せと愛は永遠に保存される。永遠は死んだ時に生まれる。


生きることは傷付くことの連続だ。傷付かずに生きようとしたり、いつか失うことを怖いと思ったら、幸せも手放してしまう。それは生きながら死んでいるに等しい。傷付くことを怖がってるんだって気付いてやめられたら、やめられたぶんだけ幸せが多くなる。たとえ離れたとしても、その人の幸せを願うことができたなら、永遠の愛は自分の中に生まれる。

愛って、伝える事も大切だけれど、与えようとすると減る。持ってるだけでいいんだと思う。愛を持っている人に人は惹かれる。愛されるより、愛すのだ。なんもこわくないよ。

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