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永遠は存在しない

20代半ば、結婚への強い憧れがあった。世間一般的な流れに乗りたいという、今なら一番いらないと思える気持ちもなきにしもあらずだったが、
なにより私は永遠の愛が欲しかったし、あなたを生涯捧げて愛しますと約束して、それを守ってほしかった。

離婚して良かった事もあるけれど、牧師さんが間に入った約束は守れなかった。
健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを。
わたしはあの時の誓いの言葉をなぜ忘れてしまうのか理解できなかった。

今でも永遠は欲しいと願っているが、同時に永遠が存在しないことも知っている。私たちはいつだって通過点でしかない。

このご時世、離婚は珍しいものでもない。結婚という概念こそ崩れかけてきている。牧師の言葉自体が理想でしかなかったのだ。誓ったその日の言葉は嘘じゃないけど、嘘じゃなくなる日が絶対に来ないなんて、言えるわけがない。それを最初から牧師は知っていた上で日々誓わせている。好きになった人とからだの関係を結び、素直に助け合っていきたいと思う事は、わたしにとって誓いをたてていることと同意義である、結婚の事実はなくともやっている事は変わらない、あえて結婚するにはまた別の理由が必要になってくるが、あえて結婚しない理由のほうがもっと必要だ。

もし再婚したら、などと相手もいないのに考えてみても、わたしの願いはこの世にないもので、成就しないことを知る。今のあなたと今のわたしの巡り合わせに感謝はすれど、心変わりは誰にも、自分自身にも止められない。

それが当たり前で正しく、どうしようもなく悲しい。

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