宇宙が生きているなら人間の生き死には宇宙にとってなにか
宇宙が生きているというのは、空想ではなく現実の話である。
人間の死とは、動く肉体を失うことだ。
宇宙にとっては多分そうではなく、
地球のなかで人間は赤血球のようなもので、宇宙のなかで地球は爪の先のようなもので、
どこまでもひとつの肉体であり、それぞれの性質を持つ個体であり、わたしは自分のからだをどこまでと考えたらいいのかよく分からなくなる。
灰と水分に分かれたなら、それぞれの性質通りの生き方をするだけで、わたしの意識が言葉でどこかの人間に残ればそれもまた生きることになる。たまたま私という個体に集まっていたものが散るだけなので、本当はなにも悲しいことはない。
今身近な人が、一年後は赤の他人だったりすることも、死に別れていることも、(それが誰かにとっての私自身であっても)、本質的には似たようなものだ。
それを知っているのに、わたしは人間で、人間と接しているから、人間として生きていくことが、なんとなくいつもかなしいことになってしまう。とりあえず生きているので、生きておく。ちゃんと楽しんでいるしがんばっている。
やっとこれ以上分かれなくて済む素粒子ですらくっつくなんて、みんな、関係したくなるようにできているのかな。
宇宙が死んだらどうなるかは分からない。自分が死んだ時に分かるかもしれない。
photo by shimpei tamamoto
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