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人との距離を縮めるか、猿との距離を縮めるか

「仲良くなるためのワークショップ」を主催されているあおいさんと、【人と距離を縮める時に考えていること】をテーマに対話をさせてもらった。

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🫶"仲良くなれそう"な人

【考えていること】などとカッコ付けたが、思い返すと私と人との距離はいつの間にか縮まっていて、その因果を分析・考察したことが無かった。

あおいさんは、きちんと考えている人だ。
自分の性格や思考の偏重を繊細にとらえているから、相性の良さそうな人がいると感知できる。

人付き合いにおける我々2人の最も大きな違いは、この「仲良くなれそうな人を見極めているか否か」である。

あおいさんは、「この人の役に立てそう」「この人のニッチな(一般的に理解されにくい)弱みの理解者になれそう」と思える人にマッチングを感じ、好意を抱きやすいそうだ。

それから相手をよく知ることを始める。ネット上に過去に残した言葉を参照してみたり、様々な質問・話題を投げかけてみたりして、相手の人物像をゆっくり確実に把握していく。
そのように交友を深めていくので、安心感に包まれながら親密度を上げることができる。

対して私はと言うと、容姿や言葉選びの愉快さを以て「あっ好き」と感じるとすぐに話しかける。会話に参加したりナンパしたりして、とにかくキャッチボールから始めてもらう。

相手になにか倫理的な懸念が発覚した場合を除き、交流を続け心が通い合って、関係は自然と築かれていく。
このように相手の人柄やステータスを把握せずに関係を始めるので、様々な生き方の人物を知ることになる。

今これを読みながら「自分はこっちタイプかな」とか「どっちも遠いな」とか、皆さんの中にも人と距離を縮める時のパターンが思い当たるはずだ。
そのどれもが未完成で完璧で、あなたの人間関係そのものなのだと思う。

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🤝交遊バリエーションを増やすワーク

あおいさんはご自身の現状を「人と距離を縮める際の手札が少ない」と表現していた。分かりやすい相手の弱みに、自分のお役立ちポイントを凹凸を埋めるように接続するという手法が主なそれで、「バリエーションを増やしたい」と。


そのために取り組んでいるのが、「仲良くなるための感情と体を使うワーク」であり「インプロ(即興演劇)ワーク」であるそうだ。

これらのワークの場では、参加者同士が意識的に感情を表に出して会話をする。自他の感情をよく観察し、推測したり模倣したりしながら、自分の手札に無かった表現方法を体得する。相手が話している時の観察ポイントを学べて、フィードバックももらえる。

人による表現方法の個性や自身の癖を知り、対話上手へ一歩前進できそうな魅力的な内容だ。


あおいさんはそれらのワークを通じて、会話の中で行われる「感情のキャッチボール」に意識が向くようになったと言う。

それまではご自身の感情に頓着が無く、その場のノリやバイブスなどという理屈の通じない勢いで人と仲良くなることが無かったそうだ。
ただ実直に、「私が役に立てそうな人」に真摯に向き合う交遊を持ってきていて、積極的に自己開示したり、相手を自分の感情に巻き込んだり、という仲良くなり方は実践してこなかった、と。

それがワークを通じて、少しずつ変化してきたそうだ。仲良くなる手札の拡充は、そのまま人間関係への満足度と比例する。今より1つでも多く獲得できるよう、学びを続けたい。

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👉心の指す方へ進む

そんなあおいさんは、対話の中で何度も私のことを「健全に生きている」「心で会話している」と表現してくれていた。

まさにバイブスを大切に暮らしていて、思ったことがすぐ口をついて出て、自分の感情を全乗せして話すのが私だ。対照的な我々。
仲良くなれそうか、自分との相性が良いか、という観点で人を見たことも無かった。心の中にあることをさらけ出してみて結果仲良くなった、ならなかった、という事実があるだけだった。

あおいさんとこういう話をすると、いかに自分の考えが浅くて物事を短絡的にとらえているかが露見して、己のあまりの可愛さに照れてしまう。


我々は人と距離を縮めるやり方がまったく異なる。

しかしやっていることは、「自意識を薄く保ち、目の前の人をちゃんと見る」ことに他ならない。

やり方は違えど結果的に、自然体で仲良くいられる人が周りに残っている。
始まりが警戒しながらのガードポジションでも、リラックスしたおててブラブラ状態でも、無理せず自分に嘘をつかず、相手の出方を受け止めて焦らずに親交を深める点は共通していた。

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🙉猿になる危うさ

あおいさんは「人と仲良くなるワークショップ」を始めてから、界隈に溢れる「1ヶ月で彼女ができる!」などという宣伝惹句の危うさに気付いたそうだ。
人と距離を縮める時に効率を求めては本末転倒だ、と。

他者をカテゴライズし行動をパターン化することで、誰が相手でも再現性のあるメソッド、なんていうのは目の前の個々人をないがしろにしていると私も思う。

もっと言えば人類への冒涜にあたる。

人はもちろん快を追求したい生き物だ。幸せを感じて生きていたい。
たとえば何かを成し遂げたり、五感を満足させたり、誰かと親密になったり、創作物に心揺さぶられたり、そういう幸福感を得るために人は試行錯誤を重ねる。

大麻の成分によってもたらされる幸福の電気信号は、それと同じものだ。ならば、苦労して時間をかけて何かを成し遂げたりするよりも大麻を育てて吸っている方が合理的だ。
でも人類はそれを選ばなかった。地球は大麻畑になっていない。猿ならきっとそうしているのに。

これを人情と言うのか、合理的でも効率的でもないし、本能の欲求には支配されていない大脳の新皮質がそうしたがったから人類の今の姿がある。
苦労して、工夫して、努力した先に幸福があるということに重きを置いた。

だから、人と距離を縮めるのに最短距離を走ろうとするのは猿回帰だ。メソッドに沿って効率を求めて……そんなことをしても、強引で性急な印象を与えるだけで相手の自然な心は得られない。

私は多種多様な植物が溢れるこの星が好きだ。べつに効能がなくても、おいしくなくても、大麻のために焼かれること無く生きている。

多種多様な人々が、合理より仁愛で繋がる社会がいい。
人を効率の良い資源として扱い、強い人物だけを身の回りにコレクションするような選民思想のある人間関係の築き方には懐疑的だ。

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🔦人との距離を縮める棚卸し

自他の個性に対して、ここは良さでこれはダメといったジャッジを始めると、損得勘定が芽生える。
「社交的な人は八方美人でダメだ」「陰気な人は一途そうで良い」などと、"私の機嫌を取れるか取れないか"で人を見てしまうようになる。

そんな打算は見透かされ、嫌悪や依存を招く。仲良くなりたい人と思うように距離が縮まらない時や、なぜか勾配のある関係に陥りやすい時は、無意識に相手に属性を付与して見てしまっていないか確認してみるといいかもしれない。
期待の棚卸しは、様々な発見をもたらす。

期待せず、尽くさないことで、愛し合うことができる。親密になってお互いのツボを知った上で機嫌を取り合う関係は、実に微笑ましい。

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🧠ご機嫌な人、不機嫌な猿

どのような人間関係に身を置きたいかを考えよう。
自分だけ楽しくて相手は退屈そうとか、相手ばかり快適そうで自分は我慢して疲れるとか、そんなのは嫌だ。傷付きたくないからと、周縁だけ撫でるような浅い関係も虚しい。
不安なく歓迎されたいし、リラックスして素直でいられたら心も世界も平和だなぁと思う。
自省を重ね、人に余分な期待をかけないご機嫌な自分になろう。

みんなが良い社会で暮らすために、人との距離を縮めて、猿とは距離を置いていきたい。

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おしまい

◻️今回の対話の音声データ🔗は、記事公開日より1ヶ月ほどTwitter上に保存されています。温かいうちにどうぞ。

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