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ぬいペニになりたくない

 TwitterのDMとスペースで、ぬいぐるみペニスショックの当事者(男女とも)の体験談を伺い、またその現象が起こる経緯と予防策を探った。

 男性側の心境を聞くにつけ、興味深くも非常に切なくなったので、この記事は「ぬいペニ現象を起こしたくはないものの、さりとて恋愛にどう向き合えば良いのか分からない男性」向けに書いていこうと思う(ぬいペニショックを受けた側への言及はまた別の機会に)。

 ぬいペニ呼ばわりを恐れる男性は交際経験に乏しい、多くは全く無い人々だった。いかんせん人は、解像度の低い分野のことは極論を頼りがちで、彼らの中でも恋愛におけるスタンスが、 人畜無害 or 軽率自己中 or 全てを諦めて趣味に生きる の究極の3択になっているようで、非常にもどかしかった。
 自分が誰かに恋愛的な好意を向けることへの罪悪感や、自分の性欲は汚いものという忌避感があるらしく、それらを抱くに至った10代の思い出は長く尾を引く呪いだと痛感した。
 そんなことはないと言葉で否定したって、不遇の実体験と他者の露悪的な発信によるダブルの裏打ちに補強された感性は容易には覆らない。


 そりゃ人間、これまで成功してきたことはまた成功すると思うし、失敗してきたことはまた失敗すると思う。
 自分の好意や性欲を喜ばれ求められる経験があるのと無いのとは大きな違いで、0に何をかけても0の如く、何を言っても「とはいえ俺が好かれるはずは無い」から先へ進まない。
 経験が無いので自分の好意が快く受け取られる想像がつかない、迷惑をかけたりキモがられたりは避けたい→素を出さないようにぬいぐるみを被る、になるのも当然だ。
 けれども過去無かったことだって未来には起こりうるし、あなたの素顔や好意が快く受け取られてキモがられない方法は無い!解散!なんてことも絶対に無い。

 じゃあどんな方法がいいのか誰か教えてくれ、と探し始めた時に目につきやすい方法論は極論だらけだ。私の観測範囲では、「男の性欲は悪!性欲ゼロのぬいぐるみモードから始めよう論」が跋扈している。これのせいかな。
 これは"性欲ゼロのぬいぐるみ男にしかゆくゆく恋心を抱けない"という恋愛観の持ち主を好きになった場合にのみ有効な、ひどく偏った方法だが、彼らの"加害したくない・ダメージを負いたくない"にコミットして、やたら広まっていると感じる。
 それを鵜呑みにして性欲なんて全くありません、何が加害だか知らないから全てを避けます、という極端な振る舞いをすると、ぬいぐるみ男かと下に見られ軽く扱われ、さらにぬいぐるみ化が進む。そしてこれこそがぬいペニショックを引き起こす。
 同じことを別の言い方で、「女は優しくすれば付き合える論」もよく見る。なんて雑なんだ、主語は大きいし目の前の相手への尊重も無い。そして同じくぬいペニトラップだ。
 それから、上手くいっている人の真似をしよう!という方法論もまことしやかに流布していると感じる。守破離!つってね(守破離という言葉をそういう風に使うなよ、と思う)。
 恋愛は全て、個々人の人生や交流の積み重ねの上に立つ個別事例で、再現性はほとんど無いのだ。ロールモデルを設定してその容姿や言動を表面的に模倣しても、あなたの心が安らぐ関係性は手に入らない。

 どれもこれも「これぞ王道」のような体で薦められるが、実際はもっともらしいだけでスカスカに近い。素直にやってみたけどなんかなぁ……の原因はそれだ。


 そんな風に誰か教えてくれモードで方法論を模索していると、コミュニケーションが得意です、心理学に詳しいです、みたいな人にも絡まれやすい。困っている人が大好物の彼らは、自己実現のためにあなたにアドバイスをしてきただろう。
 そんな人がよく使う方法は「相手を観察して褒めて共感してあげる」「話を上手く引き出して否定的な感情も認めてあげる」などだが、人間をナメるのも大概にしろと思う。
 当人達は"肯定的に寄り添って"いるつもりらしく、上手くできた役に立ったとハイになっているが、その傲慢さへの無自覚には呆れる。相手を対等な人間扱いしていない、不誠実なやり口だ。
(……子育てには向いているかもしれない)

 自己肯定感の低さから、彼らの言葉を真摯に受けてしまった方もいると思う。その時に大なり小なり違和感や気持ち悪さを覚えていたなら、対等に見られていなかった不均衡さが要因だ。心の三半規管が感じ取ったのだ。
 もうそんな思いはせずにいてほしい。聞き流すも、オカズにしないでと拒むもいいだろう。

 自己肯定感の低さ由来の話で言うと、ぬいペニになりがちで、もうなりたくないという層には「女性は男性の好意をうっすら忌避している」「女性は男性の性欲を警戒している」を信じきっている人も多そうだな……と改めて思った。
 そこに自分を当てはめて「俺の好意や性欲は女性の嫌悪の対象だ」で思考停止してぬいぐるみを着ているように見える。そうして考えるのをやめる方が何かに都合が良いのかもしれないけれど、やめないでほしい。
 ちなみにこれらはあくまでも「恋愛経験を通じた幸福を味わってみたい人」向けの話だ。セクシャリティ的に恋愛はノーサンキューですって人はそもそも読んでいないと思うけれど。

 その幸福が叶う方法は1人1人違って、そして必ずあります、と言いたい。上手くいく方法が1人1人違うのは、人間関係での快適さや幸福感を増す材料は、各個人の中にあるからだ。誰かの作った決まったメソッドをインストールしなきゃいけないわけじゃない。あなたに備わった特徴が、あなたを良い未来へ連れて行ってくれる。
 俺は良いところなんて無いから恋愛イベントは起こらないし、別に求めてないし、恋愛に傾倒してる奴らなんてくだらない、とか極まりつつあるそこのあなたにも、明日急に訪れるかもしれないのが恋なので、だから考えるのを「やめないでほしい」と書いた。


 目立つ暴論を実践して幸福に行き着けたのは、たまたま奇跡的にその方法と自分と相手とが合致したひと握りの人だ。
 それじゃあまりにもだ、だから私からは1つの方法として[自分に尽くすこと]を提案したい。前述した"論"の数々とは異なり、あなたがあなたのままで、誰にも迎合せず、また自己否定もしなくていい方法だ。
(どうしてこんなに一生懸命に書き綴っているかと言えば、私は知り合いであるなしに関わらず1人でも多くの人間に自由で快適でいてほしいからだ) 

 困難を味わうと人は自らを癒すため、向いているもの・ラクなものにばかり能動的になる。もしくは自傷的に、好ましくないと頭では分かっている方へ流れようとする。それがさらなる偏りを、そしてさらなる困難を招くことになる。
 たとえその先にあるものを期待したとしても、今ある自分に尽くさない人に、その先は無い。どうか今の自分をよく知り、少しでもためになることをしてほしい。好かれるためではなく、人のためでもなく、自分のためになるかどうかで言動を選択する機会をちょっとずつ増やしてほしい。

 そうしなきゃ価値がないのか、ありのままの俺はダメなのか、しんどい、めんどい、そんな世界はお断りだって、どうかならないでほしい。
 あなたに、人間関係で不本意なことがもう起こらないでほしい。あなたがもう理不尽で不愉快な目に遭わないでほしい、でもそうなるために私は何もできない、あなた自身しかできない。それでただもどかしく暑苦しいことを長々と書いている。
 無視するのも自由だけれど、されたら悲しい。


 とはいえ、自分を知るって言ったって自分のことは自分が1番よく分かっているよ、どうせダメなんだよ俺なんか、となっているかもしれない。
 不遇を味わってきた人は、どうしても自身の特徴や魅力を過小評価しがちだ。他人の優れた部分と自分の自信のない部分とをわざわざ比べて、自分なんて大したことない何も無い、とする人さえいる。
 希望なんて無いのだからせめて好き勝手やらせてくれよ、と開き直ったり引きこもったりする人もいる。

 そうなるのをちょっと中断して、では自分の何を知り大切にしたらいいのかを聞いてほしい。
 それは現状の得意と苦手だ。好きなものや人からの扱われ方などはアイデンティティにしない。

 例えば現状で[できること・できないことマインドマップ]を書いてみる。好き嫌いは一旦置いておいて、能力のみで考える。結構できる、割とできる、どう考えてもできない、これができるからこれもできるなど、ゆるめ多めに項目を設けて自分の特徴を棚卸しする。
 その中で、できるけどしたくないこと・できないけどしたいことをちょっと工夫してみようかな、と考えるのも「自分に尽くすこと」だ。

 マインドマップは単に一例だが、自分の特徴を美点・欠点と区別して上下をつけるのではなく、善悪のラベルを貼らず、どれも否定せず、その材料で今できる「自分にとって良さそうなこと」を考えるのだ。
 今までの自分を否定して、◯◯はやめる!◯◯をする!などの制限を設けて動くと、不自然な仕上がりになっていく。または「幸せになりたいけどやり方が分からない」で止まってしまう。それは自分の中に無い、具体的で即効性のある方法を外に求めてしまうからだ。
 自分の中にある材料で暮らしを組み立ててほしい。先延ばしにしていたな、こういう時マイナスやゼロの選択をしがちだなと思うことに、それよりはわずかでもプラスだろうということをその都度やってみるだけでいい。
(3人以上になると会話が苦手になるの変わらないと思ってたけど、同じような人と話してみようかな)
(体力欲しいな、動画見ながらちょっと筋トレしよ)
(あとそうだな、睡眠の質を上げる方法でも検索するか)
(女性が苦手って思ってたけど平気な人もいるな、なんでか分析してみるか)
(面接や面談で緊張しがちだな、ずっと苦手なのやだな、練習できないだろうか)
(入浴がめんどい、なんかモチベ上げたい)
(嫌な奴を疎む気持ちって消えないよな、だとしても快い人との繋がりは保とう)
(って一気にやるの無理だからまずは今できそうなこと……)などなど。
 やる基準は「なんか今よりいい感じになったらいいこと」だ。改善!とか克服!とか張り切らなくていい。できる範囲で時々ちまちまやってみる。
 すると今の自分の延長線上にある、想定する限り最良の未来がいつか日常になる。

 自分をよく理解して少しずつアップデートさせることで、ぬいペニになんて決してならない。それどころか、
・人に好意を向けた時に喜ばれる(少なくとも嫌がられない)
・恋愛的な距離を縮める際に極端な言動で失敗せずに済む
・思いがけず誰かから恋愛的に好まれ、求められる
などが夢ではなく、徐々に現実味を帯びてくる。少しずつのいい感じチャレンジが、あなたを確実にいい感じの人にしていくからだ。


 うーん、新しいことをやれ!たくさんの人と会え!好かれる言動をとれ!の方が分かりやすいのは書いていて私も分かっている。だけれども、浮き沈みのある日々に具体的な達成目標を立てると、できる日とできない日があってしんどいじゃん。だからコンディションに依存しても大丈夫な方法がいい。あなたがあなたらしさを保ったまま「良かれと思うことをやる」くらいがいい。
 地味だし遠回りに思えるし、自分を知るほど人と比べちゃって凹むし、周回遅れみたいな焦りは感じるかもしれない。けれど、地道な歩みこそ結果を招く。「好かれる」「今よりいい感じの自分になる」は、目標にしなくても歩みに付随して自然と発生するものだ。

 ここからは余談。
 私はいわゆる"非モテ"の男性に恋をして、一生懸命アプローチをして交際したことがある。
その彼もぬいペニ始めSNSで悪目立ちする暴論の数々を内面化しており、恋愛事から距離を置いていた。やはり自身の魅力に無頓着だったし、自分が人に恋愛的に好かれる想定はしていなかったらしい。
 こんなに魅力的なのに褒められない?周りの目が節穴だねそれは、と何の疑いも抱かず言っていた。会うたびに、嬉しいな〜楽しいな〜と表現した。贈り物をしたり、おねだりをしたり、ヤキモチを妬いたり、触れ合いを歓迎したり、恋人らしいことをたくさんした。
 それで初めは「なんか分からんが好かれていて、俺のどこが良いのかさっぱりだ」と半信半疑だった彼も、「俺の存在を喜んでくれる人がいる」という事実を積み重ねたことによって、ずいぶんと笑顔が増えた。

「自分の言動を喜ばれて、特別扱いをされる」「人が自分を喜ばせようと動いてくれる」などは、自認をプラス修正してくれる。他者がやってくれるのも良いけれど、自分で自分にやるのも良い。「自分を喜ばせようと動く」もまさに「今の自分にとって何となくいい感じと思う方を選ぶ」だ。
 根本的な自己評価はそうそう揺るがないまでも、歓待や優遇をされる場所は人を安堵させる。安堵すると、良い感情が出やすくなるし、できることも増える。それが日常に増えていくと、不思議と人は色気と柔和さを備える。魅力が増すのだ。
 そんなあなたから好かれたら、きっとほとんどの人は嬉しいだろう。

余談でしたすみません。おしまい。

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