ゼロかヒャク、そしてイチ

『確かなもの』がない事。
それが不安で怖くなってしまうから、曖昧とか中途半端とかが何においても苦手でムズムズして悩むことが多くあったりするんです。
本当は『確かなもの』自体何処にもなかったりするのだと思うけど。
でも、それをないからと探すことから逃げてしまったら私は何も始められないし何もできないから、理想でも妄想でもいいから何か自分を動かす為の安心材料になるような自分なりの確かなものを見つけてあげたいし、見つけ続けたい。
もちろんそこには絶対的に向き合うモノや人がいての事だから独りよがりにはならないように。

ここでゼロかヒャク。今までの私はこの2つしか知らなかったし、ここに安心していた。

何をもってゼロなのかヒャクなのか自分でもわからずにはいるけれど、その都度自分のバロメーターでゼロにいけば可能性はないもん仕方ないと言い聞かせ逃げることで後から落ち込むことも傷つくこともないし、ヒャクはもうただただ突き進むだけだから安心。この2つに振り切ってしまえば怖くない。だから私は早い段階で色んなものを探し集めてゼロかヒャクのどちらかに結論を持っていく事で安心していたんです。

だけど本当はゼロかヒャクの大きな振り幅じゃなくて、ゼロかイチという差がないように見えて1番大きく深く広い2つの距離の中で彷徨っていたりするのかもしれないなと最近気づいて。


『イチの可能性に掛けられるか、イチを見つけ出し信じることができるか』


ゼロとイチの間にはどんなに強いドリルでも穴のあかない厚い壁があって、無理矢理にでもあけようとするものならドリルのほうが壊れてしまうような。最悪の場合、気づかぬうちにドアのドリルが接している部分ではない所に傷をつけてしまっているようなイチの脆さ儚さ。
携帯の写真フォルダで言うと、ゼロは写真を消去して消去フォルダからも消去して完全消去。だからもう見ることができない。でもイチは写真を消去しても消去フォルダには残っている。見たくなればまだ見れる状態。私にとってゼロとイチはそんな感じ。                 だからゼロとイチの圧倒的な差が怖い。    
けど、だからこそイチは何よりもつよいし尊い。イチを見つけられる幸せ、イチが隣りにあってくれた、隣にあってくれる幸せを噛み締めて大切に大切にイチを育てあげられるようにしていきたい。イチをヒャクに変化させるのではない、そんな育て方。見つけていけたらいいな。


そして想いが思い出にならないように。


このお仕事に出逢えて、お仕事を通じて出逢えた方々がいたからこそ出逢えた想いなのです。

ありがとう。

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