ぎゅっ


『寂しくなる』『淋しくなる』『切なくなる』ときって?


このお話、先日共演者の方としたんです。   こういう話、とっても好き。


私は


冬より夏、とか、暗いところより明るいところのほうが寂しくなる。日が長くて外が明るいと、姿がはっきりとみえるから。


寒い日に湯船に浸かったときに、ビリビリって身体がしびれる瞬間、なぜだか切なくなる。その瞬間、いろんな少し寂しい閉まっておいた記憶がぶわっと一気に蘇るんです、なぜだか。


恋人がいる時のほうが、いない時よりも淋しくなる。こんな幸せがいつまで続くのかな、いつまで続いてくれるのかなって考えるから。


友だちと遊んでるときも、家族と笑い合ってるときもそう。笑いすぎて涙が出たあと、なんだか急に胸がきゅーっとして涙の意味が変わりそうになる。幸せすぎて辛くなるときがある。


22歳になってピンときたこと。おもったこと。


想い合うことは奇跡だということ。      ようやくこれ、ピンとくるようになったんです。


わかりやすいところで言うと恋人になること。 自分が好きになったその時にその人に好きな人がいなくて相手がいなくて、2人になれる。出逢った、想いあったタイミングが少しでもずれたら成立しない関係なんだなと思うとすっごく暖かいはずなのにすっごく脆くて儚いなって思うんです。


友だちもそう。例えば自分が今と違う学校に行っていたら、違う職業についていたら出逢うことはなかったかもしれない。全部が変わるのかもしれないと思うと人との出逢いとか繋がりとか縁とかって本当に奇跡ですね。巡り合わせ。運命。  そして、あの時の選択と決断。



だからこそ、いま、近くにいてくれる、自分が支えたい、助けたい、そんな事はもちろんだけど、自分が苦しくなった時にそばに居てくれる事を簡単に想像できてしまえる人たちを大切にしようと思うし、その大切を当たり前に大切にできる人になろうと思う。これこそが信頼で、こんなホンモノが視えてしまえたのなら言葉なんていらないのかもしれない。その場だけの誠実なんていらないんだ。本当に温かいものは目の前にある、視えているものじゃない事が多いのかもしれない。こういう時の言葉は、強いけどつよくはないから。


このお話をしていて、『陽』と言われる部分に私は不安を感じてしまうことに気がついて、なんだか自分が捻くれてるようにも思うけど、それでいいのかもしれないなって。


怖くなるくらい『いま』を大切にできちゃってる気がするから。



ぎゅっと幸せを噛みしめる。大切に。



これ、あとから読んだら恥ずかしくなりますね。少し気取ったブログになっちゃいました。こんな事を22歳の私は思ってます。次は23歳。なぜだか、この歳を私は小学生くらいから意識してるんです。23歳。なるまであと3ヶ月。意識されすぎずに、変わります。 

 

わくわく。 



ただただ、あかるいのです。



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