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変わった経歴 オーストラリア留学時代 語学学校/専門学校時代


前回、私の変わった経歴 高校時代について書きました。

今回はオーストラリアに留学したその後から書いていきます。

県立の高校卒業後、単身オーストラリアのシドニーに留学しました。
大体9時ごろから15時頃まで語学学校で授業を受けて、夕方頃から回転寿司屋でアルバイトをするような生活を1年ほどしました。

その語学学校に通っている間に、今後自分は何をしていくのかを決めようと思っていました。
たかが19歳、今後の人生何をしていくのか決めるのは、すごく大変で毎日悩んでいました。

そんなある日、今後私の人生を左右するような出来事が起こります。

私が当時住んでいた地域には、電車が通っていなかったので
バスで学校やアルバイト先がある都市部(シティと呼ばれるエリア)に  向かっていました。
バスは発信し、バス停に停まり、人を乗せて、また発進。
またバス停に停まり、人を乗せて、また発進を繰り返していました。(当然)

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また同じように、バス停に停まりましたが、乗ってこようとしていた人が  盲目の人でした。
その方は白杖(視覚障害のある方が道を歩く際に使う杖)を使いながら  段差を確認しながら自力でバスに乗ろうとしていましたが、なかなか乗れていませんでした。


そんな時、他のバスを待っていた2人が、力を合わせてその盲目の方をバスに乗せてあげました。
無事、盲目の方を乗せることができ、バスは発進しました。

盲目の方を乗せた2人は、お互いに知り合いでもない赤の他人、声をかけたわけでもなく、2人とも自然と体が動いたような様子でした。

「自分なら絶対できないな」と感じ、すごく感動したのを覚えています。
そこで「私もそんな人たちを助けられるような人になりたい!」と思い、介護(オーストラリアではAged Careと呼びます)の道に進むことを決意します。


介護の専門学校へ

そして介護の専門学校に入学します。
生徒は留学生だらけ(フィリピンが多かったです)と一緒に学びました。
時には老人ホームで実習に行って、(給料は発生しませんが)働いて、介護士の仕事を経験しました。

オーストラリアの老人ホームでは、基本的に介護士さんが主に入居者の介護をする、
薬が必要な入居者に対して、薬をあげるのは看護師の仕事です。
その看護師は管理職(ユニットマネージャーとか)のポジションでした。

今後介護の世界でやっていきたいと思った私は、より上のポジションを目指すために看護師になることを決意します。

看護師になるためには、大学を卒業する必要があり、留学生がオーストラリアの大学に入学するには
① ファウンデーションコースと呼ばれる「大学準備コース」に通う
② 専門学校相当のディプロマ(Diploma)コースから大学に編入する
方法があります。
1の大学準備コースだと、1年間ファウンデーションコースを受講し、その後大学の1年生を始める形です。
しかし、2の編入コースだと、ディプロマコースを修了後、大学2年生に編入することができます。
そのため実質3年(オーストラリアの大学はMajorにもよりますが、大体3年制)で卒業、大学準備コースを経るよりも1年早く卒業すること ができるのです。

そのため、ディプロマコースを経て大学に編入する進路にすることにしました。

そのディプロマコースに入学するには、当時はIELTSと呼ばれる英語の試験(イギリスやオーストラリアでのTOEFLのようなもの)のAcademic Overall (Listening Reading Writing Speakingの平均点) 6.5以上が  必要でした。

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そのスコア取得のため、毎日IELTS対策。
3回目の試験でやっと6.5を取ることができました。

そんな私はシドニーのあるNew South Wales州の州立の専門学校である
TAFE(テイフと呼びます)のDiploma of Nursing(ディプロマオブナーシング)に入学します。


ここまでお読みいただきありがとうございます!!!

次はディプロマコース入学後から大学卒業までを書きたいと思います。

質問など聞きたいことありましたら、コメントください!

それでは、また!


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