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朗読演出についての覚え書き

朗読が好きである。
朗読は、俳優などの表現の仕事に関わっていなくても、「本を声にだして読む」のは、様々なメリットをもたらす。

自分が書いた文章を読んでみたいと思う人も多いと思う。カフェやバーなどを借りて朗読公演や発表会をしたいと考える人もいるだろう。

しかし、多くの人は読み方の稽古はするけれど、そのパッケージの届け方をもう少し考えてもいいのではないかと思っている。

10年以上、朗読公演を観続けてきた私が考える、おさえておきたい3つのポイントについて書いてみました。


読む人は視線をあげない

これは本当によくみる傾向にあるのだが、舞台上の役者が、朗読をしている最中に、客席に視線を送ることがある。

気持ちはわかる。
僕も役者を経験していたからわかる。一文の読み終わりあたりで客席に視線を送っていた。少しでも表現が伝わるんじゃないかと思ってやっているのだと思うのだが、これはやめたほうがいい。

客席側に座ってみるとわかるのだが、役者から送られてくる視線が、いちいち気になって、本の内容に集中ができないのである。

なぜ集中できないのか。それは通常の舞台公演と、朗読公演では客側の見る「姿勢」に違いがあるからだと思う。

通常の舞台公演の場合、基本的に役者の視線は、「共演者」に向けられる。またモノローグなどの独り語りは、「空中」に視線が向けられるため、客席側は、「視線が向けられている」とは思わないだろう。なぜなら、このときの客席のマインドは「目撃しに来ている」に近いからだと思う。

しかし朗読公演の場合、この「目撃しに来ている」というマインドが、少しだけ異なる。

結論から先に言うと「覗きにきている」に近いのではないかと思う。

なぜ、「覗きにきている」になるのだろうか。

少し話は変わるが、友達の部屋に訪問したときに、「実際はそれほど広くはないけれど、なぜか広く感じる」そんなふうに感じたことはないだろうか。

それは、視線のヌケ具体が関係している。

たとえば、ワンルームなどで、背の高い家具を窓の近くに設置すると、部屋の圧迫感を感じ狭くなったように感じることがある。しかし、背の高い家具を、入口近くに設置し、窓から外の景色が見えるようにすれば、部屋全体が広くなったように感じることができる。

できるだけ、遠くをみることができるように工夫したからである。

話を舞台に戻すのだが、舞台上の役者が送る視線は、「空間の広さ」に影響を及ぼす。

遠くをみれば、広い空間だということをイメージするし、近くをみれば、そこが狭い空間だということをイメージする。

朗読公演の場合、役者の視線のほとんどは手元にある「台本」に向けられる。故に、常時、狭い空間が演出されている。

その空間を、客は無意識に前傾姿勢になって覗きにきているのだ。だから、その好意的に覗きに来ている人たちに、不用意に視線を送ってはいけない。

想像してみてほしい。
あなたは、森の中でハープを弾いている少女を目撃したとする。思わず聞き惚れてしまい、それを草むらにこっそり隠れて、覗きながら聞いていたとしよう。しかし、伴奏の途中で、少女がいきなりこっちを見てきたら、あなたはどう思うだろうか。それでも弾いていた曲に没頭できるだろうか。脅かされた気持ちにならないだろうか。

不用意な視線は、物語への没頭を妨げる原因になることを、理解してほしい。

しかし、例外はある。
それは、ステージと客席に段差がある場合だ。大きな箱での公演になると、ステージを見上げるタイプの客席がある。この場合、ステージ上でどれだけ客席のほうをみても、客席と視線が交わることがない。つまり、役者が視線をあげたとしても、客席は「覗いている」というスタンスを脅かされることはないのだ。

また、ファンミーティングやイベントなどで、「その人が読んでいること」に重きをおいているものならば、視線を送ってもいいと思っている、むしろ、喜ばれるかもしれない。

あくまで、物語を届けることが目的で、何日間も稽古したにも関わらず、わずかなことで、台無しになってしまう可能性があることを、理解してほしい。

それでも、視線を送りたいと思うのであれば、完全暗記をして、はじめから客席を巻き込んで朗読公演にしてもいいと思う。朗読は自由だ。あくまで、おせっかいなアドバイスだと思ってほしい。

始まり方と終わり方を明確に決める

たびたび公演をみると、「もしかして・・・はじまった?」や「え、いまので終わりなの?」と思うことがある。

映画館の場合、上映時間になると、照明が徐々に暗くなる。「ついにはじまるんだな」と思い、そこから作品をみる姿勢に切り替わる。

しかし、朗読公演の場合、客入れから本番のはじまりまでのメリハリがなく、いつの間にかはじまっていたという経験が多い。

なぜ、客入れから本番のはじまりまで、メリハリがないのか。
それは、照明設備や音響設備が不十分なところで公演をしていることがあげられると思う。

たとえば、本番の始まり方のパターンは、いくつかある。

①徐々にBGMが大きくなり、小さくなる
②明かりが徐々に暗くなり、真っ暗になる
③出囃子がなる
④MCがマイクを使って進行する
⑤VTRで岩場に津波がザッパーーン!となる映像が出る、など。

これらの始まり方の多くは、照明や音響などの機材の助けによって成立するものが多い。

では、そういった設備がないところで、どうやって、「はじまり方」と「終わり方」を演出するのだろうか。

ひとつ解決策として考えれるのは「拍手」だ。

よく見る始まり方として、役者が舞台中央に移動し、一礼をしてはじまることがある。

しかし、顔見知りならよいのだが、観劇する姿勢をとれていない客席側にとって、いま出てきた人が「役者」なのか「スタッフ」なのか判別することは難しい。

加えて、朗読劇の衣装というのは、非常に簡素なものが多く、だいたいシンプルな服装をチョイスしていることもあり、どちらか迷ってしまう。

そして、一礼したタイミングでも、やはりどちらか判断することが難しく、舞台上に着席し、台本をひらいたタイミングで、「あ、この人が読む人なのか」と、このタイミングではじめて、観劇する姿勢にはいる。

なので、物語の冒頭を、客席側が浮足立った状態で見守ることになる。

これらを回避するためには、一礼したタイミングで、運営側が、「拍手を誘導する」ことで解消できると思っている。

つまり、「拍手がほしいタイミング」で、運営側が率先して拍手するのだ

「拍手を誘導する」と話すと、悪い印象を持つ人もいるかもしれない。「拍手は自発的にしてほしい」という人もいると。

しかし、様々なシーンで拍手をするとき、こう考えないだろうか?

「拍手したいんだけど、いま、拍手していいタイミングだっけ・・・?」
「(周りが拍手しはじめると)あ、いま拍手するタイミングなんだ。」

アイドルのコンサートや応援上映、身近なところだと、卒業式や結婚式など、客席側からレスポンスするときのことを思い出してほしい。

アイドルは、レスポンスがほしいときは「二階席ー!アリーナー!」など掛け声をして促したりしている。また、卒業式や結婚式など、拍手がほしいタイミングで司会やMCが「言葉でお願い」をしている。

私もMCの仕事をすることがあるが、拍手していただきたいところまで、言葉や感情などで、リズムをつくり、ここだというタイミングで、拍手を促すようにしている。

誰かが指揮してくれることで、気持ちよく「拍手」することができるのだ。

そうすることにより、公演の「はじまり」が明確になり、さらに「終わり」が明確になることで、観劇した後の感動も高まるであろう。

ぐれぐれも、「もしかして・・・はじまった?」や「え、いまので終わりなの?」と思われないように、運営側が、率先して拍手をして安心させてほしい。

もっと衣装にこだわっていい

もっと衣装にこだわっていいと思う。
どこがルーツなのかわからないが、すべての出演者が「白のシャツと黒いパンツ」で公演を行っているところが多い印象がある。

おそらく、声で想像させるため、どんな衣装にでも想像してもらえるように、モノクロの服をチョイスしているように思うのだが、もう少しこだわっていいように思う。

というのも、明らかに「白のシャツと黒いパンツ」を着て、損をしている役者がいるように思うからだ。

これは、ファッションの話が関係してくる。
「骨格スタイル診断」という自分の似合う服を診断するツールがある。
ちなみに「白のシャツと黒いパンツ」は、シンプルな装いで、「ストレートタイプ」と呼ばれる人がスタイルアップする服装だ。

他の骨格タイプ「ウェーブタイプ」や「ナチュラルタイプ」の人が着ると、少し物足りなさを感じてしまう。ぜひ、ストールなどの小物を使って魅力的にみえるように、スタイルアップさせてあげてほしい。

また、カフェやスペースを借りて朗読公演を行う場合、大道具など装置がないことが多い。そのため、「目で見る」ことができて、かつ世界観を構築する要素は、「役者」だけになる。

その役者が、シンプルな服だけになると、相当にハードルが高くなる。
もし、モノクロの衣装にこだわりがないのであれば、ぜひ、いろいろな衣装を検討してほしい。ドレスアップしてもいいと思う。

大切なのは、スタッフやお客さんと間違われるような服装をしないこと。
役者が舞台にでてきたときに、その衣装や佇まいを見ただけで、「ここではない、どこかへ」連れていってほしいと願っている。

さいごに

本の読み方について言及している人はたくさんいるのだが、その届け方について書いている人を、ほとんど見かけたことがない。

それだけ閉ざされた世界なのかといえば、そうなのかもしれない。

しかし、書きたい人がたくさんいるということは、いつかきっとそれを読みたくなる人もいるだろう。

10年以上、細々と朗読公演に関わってきたが、今回は、大きく3つのポイントについて書いてみた。

もし、カフェやバーなどを借りて公演を行うなどの誰かの参考になれば、幸いです。

おしまい。

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