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映画「エゴイスト」を見て自分語り

映画「エゴイスト」を見てきた。
切なくて、優しくて、キレイな映画だったなと思う。

故郷に背を向けて、鎧を身につけて、
都会で成功しなければ!と踏ん張っている主人公の浩輔と、
様々な理不尽を背負って、真っ直ぐに生きている龍太。

僕はゲイという意味では同じだけど、
一般的な家庭で、一般的な愛情と教育を受け、
特に成功するでも転落するでもない人生を送っていて、
登場人物との共通点は多くない。

けれど、なぜかところどころで涙が出るのだった。
映画を見た後に、その涙の理由について考えてみた。

僕は子供時代はとてもいい子どもだったと思う。
大人を困らせない子ども。勉強もお手伝いもよくした。
そして、いつからそうなったのかはわからないけど、
実家にいても家族に気づかれない程度に他人行儀だった。

いつか女性と結婚して、家庭を作り、子どもを授かる。
そんな特別でもない期待を背負っていることが
いつからか重荷になった。
20代までは嘘をついて凌いでいたけど、
30代を過ぎると嘘をつくことすらできなくなった。
そうすると次第に物理的に距離をとるようになった。

僕は幸せになりたいし、
親も子どもには幸せになって欲しいと思っているはず。

しかし、お互いイメージしている幸せが違っている。
僕は幸せになるために彼と東京に住んでいるけど、
その幸せを親に打ち明けることはないのではないかと思う。

答え合わせをしてもお互いの答えが違うのだから、
その行為に意味を見出すことが、今はできていない。

解決したいけど、おそらく一生解決しない問題。
答え合わせをしても、おそらく一生親と合わない答え。
そんな重い宿題を子どもの頃から背負って生きるのは辛いよな。

そんなことを永遠と考えながら生きてきたので、
主人公の浩輔の苦悩に触れるたび涙が出たのだった。

ネット上で知らない他人に罵られるも辛い。
社会が自分たちを軽んじているのも辛い。

しかし何より辛いのは、
自分の幸せを親と共有できないことなのかもしれない。

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