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あるひとつの世界の終わりについて

ひとつのSNSが終わる。Pathだ。

クローズドSNSをコンセプトに、繋がれる人数は50人(今は150人になった。クソが)しかいない。承認制で繋がり、Facebookのような「投稿にスレッドがつくタイプ」のSNSだ。

作ったのは、Napsterのショーン・ファニングとFacebookの元幹部。2010年、どんどん繋がり行く世界に対して、閉鎖的な世界を打ち立てた。

背景だけで、このSNSがどんなに素晴らしかったのかよくわかる。当初は広告もなく、「親しい人たちと深く繋がる」ことを徹底していた。

呟き、動画、写真、位置情報、聴いてる音楽までシェアできる。シンプルなデザインから「スルー」に対しても寛容な雰囲気があった。

閉鎖的であり、ゆるかった。TwitterとLINEを足して2で割ったような世界。

私がこのサービスを使い始めたのは、もうかなり昔のことだ。スタートアップ系の人たちに勧められたのがはじまりだった。

思春期からネットで友だちと過ごし、そのノリで社会人になった人にはうってつけだった。

Twitterで呟けば炎上したり、揶揄されたり、余計な心配をされたりするようなことを、仲間内だけに共有できる場所。

ちょっと過疎っているのが、さらに魅力的だった。流行っていないのに「Pathを使う」人たちは、似た境遇の人が多かった。秘密を持っていて、寂しがり屋で、仕事が大好き。Twitterは住民が多すぎる。

私がここで繋がっているのは8人。映像、アニメ、テレビ、イラスト、編集、メガベンチャー……それぞれが違う仕事と能力を持った友人たちだ。

「20連勤でつらい」
「最近仕事が調子いい」
「プレゼン落ちた」
「アイディアが浮かばない」
「今回はダメだった。反省」
「もっとこういう仕事増やしたい」
「彼氏(気がつけば夫になった)とうまくいかない」
「これはフラグ?」
「彼氏できた」
「推しのここが神々しい」
「メンタル不調」
「惚気ていいですか? 惚気ます!」
「これってどうして炎上してるの?」

ともすれば、「ミサワっぽいw」とか「ネガティブなこと言っても意味ないよ」「忙しいアピはちょっと…」と言われなくもない。でも、ここではそういう無神経な正論は言われない。信頼できる友人しかいないし、スルーもできるからだ。

Pathの投稿は、自慢でも自虐でもなく、ピュアな自分だ。

違う仕事に携わっている人たちも、同じように足掻き、くだらないことで悩んでいる。その様が見えるだけで私は元気付けられた。

仕事のコラボもいくつか生まれていた。取材先をつないでもらうこともあったし、一緒に作品を作る人たちもいた。極めてインターネット的な生態系があったように思う。

何度も何度も、Path民には助けられた。悲しんでいるときは歩み寄ってくれ、不安さを共有でき、放っておいてくれる。

彼ら彼女らと「実際に会う」機会は少ないけれど、まるで戦友のような、しっかりと結ばれる安心感があった。

ゆるいからこそ、近づける。そして適度な距離感があった。

Pathは10月18日にサービスを終了する。どうやら過去ログはダウンロードできるようだ。ユーザーたちは、新しいクローズドSNSを求めて移住をはじめた。そのことを、Pathで報告しているのだから面白い。

繋がれる友人数が増えたり、広告が導入されたり、改悪アップデートを見るたびに「終わりのはじまり」を感じなかったわけではない。それでもサービス終了のその時まで、まるで19日を迎えるかのように、Pathは平然とそこにあるのだろう。

この心地よい世界が終わるとき、一体どんな景色が見えるのか。静かに終焉の日を待っている。

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