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お鮨屋さんでは雛鳥気分

柚木麻子「その手をにぎりたい」を読んだ。

銀座の高級鮨店の鮨と、そこではたらく職人の「手」に魅せられた女性・青子が、鮨を食べ続けるためにバブル期の不動産界の奔流に身を投じていく物語である。
お仕事小説でもあり、恋愛小説でもあるのだけれど(鮨職人・一ノ瀬の「手」に対するねっちりみっちりした描写がすごい)、なんといってもお鮨一貫一貫の描写がおいしそう。

章にはそれぞれ「ヅケ」や「イカ」といった、話の中でキーとなる鮨ネタの名がつけられている。食べ物と絡めて話が進行する小説は数あれど、握り鮨、それも一つの店だけで食べるそれだけで256ページの小説が成り立っているのだから、鮨というのは奥深い食べ物なのだなあと思う。

読み終わったらまんまとお鮨が食べたくなった。それも、回らないやつが。

ちょうど母の誕生日祝いをする機会があったので、それにかこつけ神戸・三宮の某店へ行ってきた。
今年の4月に開店したばかりというお店は、スナックや飲み屋が集まる古いビルにあって、本当にここでいいの? と思いながらおそるおそるエレベーターで2階へ。小説の中の一ノ瀬さんのような、年若い大将が迎えてくれた。

お鮨屋さんのカウンターは楽しい。つやつや光るお刺身のサクに何やら仕事をして、清潔な手の中であっという間にお鮨が出来上がっていく様子は、魔法みたいで見とれてしまう。

出てきたもの全部が本当にどれもおいしかったのだけれど、ひと際感動したのがかんぱちだった。

ほの白く輝く身と、端にほんのりと宿る薄紅色の取り合わせが美しくて、しばらく見とれてしまった。
満を持して口に運び、驚く。普段お刺身で食べているような、脂が乗りつつも歯切れがよい食感を想像していたら、全然違った。口当たりがどこまでも滑らかで、ほのかにあたたかい酢飯と混然一体となって舌に絡みついてくる。単に脂が乗っている、というのとは違う、とろりと潤びるような舌触り。聞くと「2~3日熟成させています」とのことだった。

今が旬だからなのか、すだちを使った仕事のネタが多かったのも印象的だった。

烏賊はごく細い素麺状に切りつけたものをまとめて握りに仕立ててくれ、上には塩と絞ったすだち。
烏賊の身のねっとりした甘さを、清涼なすだちの香と塩気が引き立てていた。

青子が鮨を探求するきっかけになったネタであるヅケも、〆直前のタイミングでいただけた。
すだちの果皮をすったものが散らされていて、鮪の深い風味が爽やかに。

いくらの小丼ぶりにもすだちが絞ってあった。
醤油の味がまったくしなかったので、塩いくらだったのかもしれない。優しく清しい味。最後のひと匙を惜しみながら食べた。

いただいたのはランチのお任せコースで、お鮨8貫に逸品がいくつか、〆に鰻の握りとかんぴょう巻き。プリンみたいに甘い卵もいただいて、苦しいほどの満腹。
食べ終わった後は秋服を買いに行こうかと話していたのだけれど、早々に帰宅して昼寝。幸せだった。

ところで私はしがない会社員なので、所謂「まわらないお鮨」はお手軽なランチセットなどを除けば、数えるほどしか食べたことがない。旬の魚にも鮨屋のしきたりにも詳しくないので、邪道と言われようと初めての店でもおまかせをお願いする。
若いころはカウンターの前に座るだけで緊張して、スマートな都会の女に見てもらいたいと精一杯「場慣れている」ようにふるまうことに心を砕いたものだけれど、どうあがいても無粋な性分は隠せそうにないので、最近はもうやめて、目の前のおいしいものに集中することにした。格好が悪いことには変わらないが、快適は快適だ。この調子で図太くふてぶてしく年を取っていきたいものである。

そうして無心で鮨を頬張っていると、なんだか自分が雛鳥になったような気分になってくる。巣の中で、親が餌を持ってきてくれるのを待つ雛鳥。つばめとか鶸とかヤマガラとか。口を開けて待っていれば、自動的においしいものが出てくる。言葉を選ばず言えば、餌付けされる感覚。
和食にしろ洋食にしろ、他の飲食店のコース料理でそんな気持ちになることはまずない。鮨屋だけだ。

思うに鮨屋のおまかせというのは、私にとって「考えなくて良い」食事の究極形なのだ。アラカルトの対極。

例えば結婚式に出席してフレンチのコースを食べるとして、鮨のおまかせと同様メニューを検討せずともどんどんおいしいものが出てくるわけだけれど、実はわりかし考えながらナイフとフォークを動かしている気がする。一度に切り取る肉の量、付け合わせの野菜をどのタイミングで食べるか、ソースをつける配分などなど。

鮨はその必要がない。おいしいものがぽんと目の前に出てきて、それは「一口」で食べるのがいちばんおいしいバランスでできているから、そのまま取って口に運ぶ。たいてい既にお醤油なりツメなりが刷毛で塗られているので、醤油皿を目の前にどのくらい付けるのがよいかしら、なんて考える必要もない。食べ終わったら、また出てくる。口に運ぶ。おいしい。おいしい理由を職人さんに聞くと、いろいろ興味深い話を教えてくれる。楽しい。

何にも考えずに、目の前に差し出されたひとくちのおいしさにだけ集中すればいいなんて。
なんて贅沢なのだろう。

鮨屋のカウンターで、私はいつも雛鳥のごとく甘やかされている。
それを自覚したうえで小説を思い起こすと、舞台である高級鮨店「すし清」では手渡しで鮨が供されていたようだから、それはさぞかし甘美だっただろうなあ、と感じ入っている。


※当初この下にお店の情報を載せていましたが、最近大将が他の方に変わってしまったので伏せました。次に行くお店を教えてもらえるくらい、通っておけばよかったなあ。

2023年10月追記




バブルの只中で食べる高級鮨なんて、さぞかし軽薄な味だろう……と思って読むけれども、職人の手とその仕事の、どこまでも清廉な描写に虚を突かれる。すし清に通い続けるための青子の泥臭い努力や煩悶との対比に引き込まれて読んだ。恋愛要素がちょっと邪魔に思えてしまうが、それも一匙の「トレンディ」だと思えばまたよし。

選択が連続する食事もそれはそれで楽しいよ、という記事。




本の感想をnoteで書こうとしてもなかなか追いつかないので、最近はTwitterに読書記録を載せています。
よかったら覗いてみてください。
→@hon_to_sake


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