虚無主義を徹底化する

一番端的に虚無主義を表している言葉はこれだと思う。

あらゆる約束、あらゆる幻想にまさるもの、それは結局のところ、「それが何になる?」という平凡な、それでいて恐ろしいリフレインだ。この「それが何になる?」は、この世の真理であり、端的に真理そのものだ。私は五十七年生きてきたが、白状すれば、これにまさる哲学の啓示はあずかったことはない。

エミール・シオラン

 シオランという作家は冷めたところがある。ニーチェはニヒリズムの曙を見て「超人」に夢を託したが、シオランはもうそんなものは信じていない。ニーチェって物凄い頭が良いのに、なんで超人なんていう妄想を抱いていたんだろう?人間は死ぬのだから、徹底的になんの意味もない。
 弱いニヒリズムというのは「人生に意味はない」とうなだれている人で、強いニヒリズムというのは「人生に意味はないけど、OK!」と大地を踏みしめて生きている人らしい。バカらしいと思う。どうせ2人とも死ぬ。

最後の幕は血で汚される。劇の他の場面がどんなに美しくても同じだ。ついには人々が 頭の上に土を投げかけ、それで永久におしまいである。

パンセ

 虚無主義って何か問題があるのだろうか?多分一番の問題は、「主義」になっているところだと思う。世界は無常であるのに、主義という見解が固定化されている。「虚無主義」というのは言語上の虚構に過ぎない。あるのは「無常」という「虚無化」の「運動」だけである。
 虚無化だけが存在する。「虚無主義」は「虚無化」に殺される。

 虚無主義というのは「言葉」から成り立っている虚構だった。心が言葉を粘土みたいにしてくっつけて遊んでいるだけだった。全ては虚無化の「プロセス」にあり、そこに不幸も問題もない。
 虚無主義者というのは、虚無を徹底していない。虚無を徹底するには、「無常」に追いつく必要がある。「心」は見解や自我を実体視する傾向があるので、心を解体しなければならない。無常に追いつく。「全ては無意味だ、人生は全く虚しい」を徹底化する。言葉がバラされて、一切はそのまま存在する。
 「それが何になる?」を置き去りにする。

「坐禅して何になるか」 この「何になるか」という問いが第一、 中途半端じゃ。 テレビが発明されて何になったか? おまえが生まれて何になった? 何になるものは一つもない。

澤木興道

勉強したいのでお願いします