嫌悪感も認めなきゃ

 みんなきれいな家に住みたいし、おいしいご飯食べたいし、ぐっすり眠れたら幸せだよね。でもさ、世の中イヤーやこともたくさんあるわけで、そういう時はイヤな気持ちを見ないふりするんじゃなくて、嫌な気持ちを抱きしめてあげることが大事なんだと思う。

 差別されてるマイノリティだから認めなきゃ、って思っても自分の中でそのマイノリティに対して嫌悪感を抱いている状況で「差別されているから気持ち悪がっちゃダメ」なんて社会的な面だけを見て接していると、いろいろと齟齬が生まれると思う。気持ち悪いものは気持ち悪い。それは仕方がない。まずその気持ちを認めなきゃダメなんだと思う。それを踏まえた上で、どうすればうまく付き合っていくことができるかを考えるのが大事なんだろうな。無理していい人ぶって、自分の気持ちをごまかし続けると後でひどい裏切りが相手からも自分からも出る。これは仕方がない。

 そういう負の部分をしっかり見つめて、その負の部分も自分の中で飼いならして社会に順応させていくことが出来れば最高なんだと思う。最近思ってる「気持ち悪い」はこれがうまく回っていないんだと思う。全部ポジティブな陽の雰囲気に包まれている空間は、見えないところで負の圧力がものすごくたまっている。妖気だまりみたいなものだ。近づくと本人たちには見えない瘴気でくらくらする。何かを誤魔化していたり、怯えていたりするとそういう雰囲気になるのかもしれない。世紀末に流行った末法的な宗教のように。

 そう、きっとそういう宗教なんだと思う。負の部分を悪とみなす新興宗教。光のさす世界が全て。闇はいらない。世界は全て正義の味方のモノ。

 そんな世界は望んでいない。そんな世界には、苦しみもない代わりに喜びもないのだから。

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