見出し画像

恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ

今日は、1989年、スティーヴ・クローヴス監督の作品「恋のゆくえ」について書こうと思います。

おおまかなあらすじは、兄弟で組んでいるピアノコンビのミュージシャン(本当にキャストが兄弟)に、ボーカルを入れてみてはどうか、というところから始まるラブストーリー。
ボーカルに入った女性とピアノコンビの弟の恋模様のお話です。

ちゃんとしたあらすじは前回同様、調べればすぐ出るので、気になった方は調べてみてください!

この作品はとても大人な作品という事で、私に楽しめるかという不安もありつつの鑑賞でしたが、結果かなり楽しめました。むしろ期待と不安以上に考える感想がたくさんあって、私も大人になった証拠なのかな?とも思わされました。

一番深く共感したのが、セリフや設定、シーン云々ではなく、大人の人間関係のスピード感。

これは本当に、かなり共感しましたね。
恋愛だけでなく、すべての人間関係です。

20代前半の頃は当たり前だけど今より見てきた世界も狭く、出会った人も少ない。
その中でもがき、時間をかけながら人間関係を築いてきました。

好き嫌い関係なく一人一人を奥底まで覗こうと、理解しようとし、傷つこうが、なんとなく良くない未来が見えていようが、しっかりとその人物を知る事で自分を納得させていました。

そんなことを繰り返す事数年。
いつしか意図せずに人間関係の築き方が変わっていました。
それは若い頃にそうしてじっくり時間をかけて様々な人に接したおかげか、単純に年齢なのか、私は前者だと思います。

この映画を見て改めて自分の人との付き合い方を振り返った時に、人間関係を築く時間が半分以下くらいになっている事に気づいたのです。

年月をかけて、自分に合う合わないがわかってきて、合わない人と無理して一緒にいる必要のない事や、「類は友を呼ぶ」と言いますが、これは偶然ではなく、自分が選び、選ばれて存在している人達であること。

付き合う人間が環境や心境で変わるのは、自分が変化している事。だから疎遠になるのは悲しいことではない事。

それと、合わないけれどどうしても一緒にいなきゃいけない人(仕事や家族など)は、付き合わなくなったり存在を否定するのではなく、彼らから違う部分を学べばいい事。

相手が今自分を受け入れているか拒んでいるか、先は明るいか暗いか。
もちろん全てわかっているわけではなくて、その中で苦しむことや、それでも理解してみたいと思う事だってもちろんあるけれど、でも確実に人間関係がとてもスムーズになっていました。

この映画のヒロインと恋の相手(ピアノコンビの弟)と一番近い存在であるピアノコンビの兄。
全員が人間関係がスムーズな大人で色んなことを理解して割り切っています。

同じ設定で20代のキャストで脚本を書いたとしたら、もっとほろ苦く複雑で、長編で、もしかしたらこの作品以上に共感性のある映画になったのかもしれない。
だけどこの作品がある事は、大人になった私たちに改めて自分の生きてきた、費やした苦労や悲しみは間違いではなかったと肯定してくれる意味なんだと思いました。

ヒロインは恋の相手と、生き方が合わなかったけれど惹かれあった。でもお互いの生き方が合わないのはわかっているから、恋愛の時間をひとしきり楽しんだのち、後腐れなくさよならをした。
周囲もそれを理解していた。
この決断ができるヒロインの人生観にとても共感しました。
こう文にするとなんだか呆気なく深みもない恋愛のように思える気もしますが(笑)

さよならに納得したのも周囲が理解したのも、彼女が「類友」を築いてきたからなんですよね。
序盤にも言いましたが、誰かと疎遠になっても、それは誰のせいでもないんです。
自分がそこの世界にさよならしただけで、新しい場所には新しい人間関係がある。
学校も仕事も恋も、そういうものなんです。
人生は続き、ただただ明るいだけなんです。

だから今の人間関係がうまくいかないと悩んでいるのは、自分が変わろうとしている証なんです。

笑顔でさよならしたヒロインと、ちょっと心残りのありそうなお相手。でもその後もお互いの人生は続いて、決してその思い出が小さなことではないのがラストシーンでわかりました。
そこは若い頃同様、人への想いの熱量は変わらないんです。
ただスムーズになっただけ。

自分の人生の中でしてきた事、ああだったこうだったと振り返ることってあると思うんですけど、この作品はそういう出来事を経た事によって存在してる今の自分の事を強く考えるきっかけになりました。

もしかしてもう大人かも!と思う皆様に是非とも見ていただきたい作品です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?