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暦通りの生活を消費する。(だらだら書いてみたシリーズ)

さっきまで書いてた原稿が一気に吹っ飛んで、もう同じ話題でくどくど書く気もないのだけども。


私大卒後、1年位教育系のNPOでフリーランサーやってたんですよ。結局1日の向精神薬と睡眠薬と何とかが合計7錠とかの時で、尚且つやめとけと言われながらバイト4つくらい掛け持ち、朝8時に家を出て、移動時間含めて夜11時前に帰ってきて、みたいな事をしてたんで、続かなかったんだけど。
同期みんな就職或いは就職留年或いは大学院生など、(私はリーマン・ショックでいきなり就職率が下がったあの世代なので、就職留年は割りと多かったというか、寧ろ就職留年ブームを作った世代なのではないかと思う)何かしら身分ある中での、意味のわからんフリーランサーになったので、いくら自分のやりたい分野の中でのフリーランサーと言えども、そこでの稼ぎは大学生のバイト代位でしかなかったし、周りにひけを取り過ぎているよと思う劣等感も強くてね。
にっちもさっちも行かなかった。


やっぱりある程度お金ないと心荒みますから。
いま派遣OLやれているメリットなんてただひとつ、月給でお金が入ってくることぐらいですよ。まあ、月給でお金が入ってくることと言うのは大事なことだし、暦通りの生活と言うのも大事なことだし。
じゃあほんと私、何のために暦通りの生活を手に入れたんだろう。と思うと、自分の好きなことするため、と言うんだけど、じゃあ好きなことって何?ってなると、うーんうーん、となるし。


もともとは暦通りの生活を手に入れて、好きにお話書いてたいし、それを定期的に文フリで売りたいとかって思ってたんだけど、現実そんな事継続できてないでしょ?定期的にモノなんか書いてないし。
なんで書けないんだろう、書く気がしないんだろうって思って、よくよく考えたら、そこに義務感がないからなんだよね。
あと、フリーランサーの時に、モノを書くというか、小学生向けに企画立てて運営して実行して、ってゆうことで、お金を一応のこと、頂いていた経験があるわけで。なんでやれたのかって、そこにお金があったからなんだなあ。


OLより大変だなあと思ったこともあるよ。
まあ、あとはOLになりたいって言う大きな夢を抱えておりましたからね。これは本当です。実際OLになってみて、ランチ会も飲み会も女子会も全部クソくらえだ黙れって言う事を思いしれてよかったですね。暦通りの生活を約4ヶ月してきて、憧れていた消費散財生活も取り敢えず落ち着いてきたよ。休日のランチ、休日の散財、休日のイベント参加。「所謂普通の生活」も、そろそろ落ち着いてきました。しかもなんとなく、それも飽きてきました。好きなことをする、の好きなことなんて、なかったですね、言うなれば、外でご飯食べることでしたね。あと、元あいかたに会うことに、想うことに超必死だったことね。結局そんなもんなんですね。


なんで文章書こうと思わないんだろうね。
思えないんだろうね。
華やかさに欠けるからかね。多分それかな。
まあ、華やかさなんて、どこいったって無いんだけど。
大事なことは多分、「他者から見て華やかに見える 」ことなんだな。
人から羨ましがられたいんだ。


私今日もなんだけど、MacBook持ってる人にすぐ、「私もMacBook持って外で働きたいんすよー笑」って云ってしまう。ひとつMacBook持ってる外で開く人、と言うのは私にとっての華やかさの象徴らしい。全く失礼極まりない話だと自覚している。
グラフィックデザイン科を卒業している妹に言わせれば「ただ外で広げて『格好いい俺』を気取ってる奴らのほうが多いしどーせしょーもないデザインしかしてないくせに」とのことなのだが、それもひとつ事実。きっと大半がそんなもんだ。
それをわかっていてもなお、羨ましいと思うのなら、多分ね、私にもそれくらいの事、本当は出来る筈なんだと思うんだ。やらないだけで、ではなく、できないと思い込んでいるから。
とゆうか私、衰退してもなおソニー製のものが好きな時点でMacBook買う利点ないし。←ナニソレ

そう、羨ましがられたいと言えば、一昨年だか去年にかけて、学生時代に大好きだった作家にも会えたし、そこの交流サイトでコラム書かせてもらってたりした。学生時代の自分にしたら、羨ましさしかないよね。でも結局続かなかったし、今そこのコラム下げて貰っちゃってるし。なんか、憧れに手をかけたら恐れ慄いちゃってね。ビビリだねー。そうやってでも、少し手を伸ばせば憧れに手が届くことはわかった。後は継続できてないことが問題だね。
継続しなきゃというプレッシャーがあるから、継続できないんじゃないかな?と言うアドバイスを頂いて、まさにそのとおりなんだけどねー。なんだかなあという感じ。


MacBook買えないのは、使うことが続かないってわかってるから買えないのもあるし、むしろそっちのほうが大きくて、ソニー派だから買う利点がない、という方が言い訳なんだと思う。


ただ、フリーランサーへの憧れとか、華やかさって、ある程度残して置いてほしいものなんですよ。一般人からすると。そんな憧れが全く消えたら、逆に成り手もいないし、それを支えようとする人もいなくなるんじゃないかな。
私が元あいかたの側にずっといたかったのは、フリーランサーで、尚且つマスコミに関わる仕事であることへの憧れが大きくてね。みんなの憧れの仕事をやってのけるって、それなりにきついことだと思うし(スポーツ選手とかわかりやすいね)、だからこそ憧れとか華やかさみたいなもんが生まれる訳なんですよ。
実は元カレも広告関係の会社に勤めていた筈なので、結局ハーそこかって感じ。過酷過ぎて鬱になったみたいなんだけどね。


困ったなあ。


で、結局なんだっけな。
そう、憧れていた暦通りの消費散財生活にも飽きたんだよね。稼いだお金を使うことでストレスを発散させるわけですよ。じゃなきゃ何のために周りが課内の飲み会に急ぐ中で私が10時前まで独りで残業してるのかわからんし。
じゃあ次は何に暦通りの生活とお金を充てようかって話だ。
元あいかたへの憧れの話はどこいった。
そう、なら自分がそこに近い場所まで、暦通りの生活とお金を使って行けば、結構合理的じゃないかって事です。
多分すぐ飽きるけど。


PRADAの鞄はいつでも買えるけど、時間とお金が連動する消費って、今しかない!って思わないと、きっとできない。
思っても、できない。

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