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恐怖さえ搾取されるような日々へ(本当にどうだっていいシリーズ)

明るい人が苦手なのは、思春期ごろからずっと変わらなくてだ。

同じ学校で 同じ部活で 3年間同じ場所に居たのに、どうしてこうも考え方が違って、行動の仕方も違って、会うだけで私はいつでも劣った気持ちを感じているだけで。もちろん、いや、嫌いじゃないよ、寧ろ今でも合える関係だから大事にしたいよ、だけど、私はそんなに人生を楽しめないよ、年を取る事に寛大になれないよ、目標も持てないよ。そうある必要性は、誰が押し付けたわけでもなく、私が勝手に感じていることだけど、ねえ。高校の友達と言うのはそのへんかなり微妙な位置づけで、ちょっと何を話していいのかも、よく分からなくなる。年に4回は会うんだけど。もう少しかな。

将来の夢も特にない。生き延びて生活が営めればいい。普通の生活が営めればいい。海外に行きたいとも言わない(言っているけど、実際海外に行くだけのお金があるなら、何時働けなくなっても良いように貯金しておく事を考えたほうがよさそう。)高級な何かが欲しいとも言わない。高い店でご飯が食べたいのも言わない。一億総中流の時代は終わり、五千万裕福五千万貧困の時代が既に到来しているのなら、貧困の波にだけは乗らない事を意識して生きて行く事を考える。私はそういう人種なわけで、その点周りとは違う。夢が無いと言われる。昨日も「また海外行きたいと思う?帰国してどう?」と聞かれても、正直イギリスに居た時の事を思い出してももう鮮明な感情には戻れない。そこまでもう私の心は広くない。残念なことに。お金さえあれば1年でもいたい。ただ問題はそこで、お金と心と身体のバランスが取れない以上、もうそんなことは覚悟もできないな。そういうふうに考えている。夢が無いと言われるのかな、嘘だ。なんでそんなに夢を持たないといけないの。

と言うよりもふと思ったのが、私はとことん日本人の考え方なのかわからないが、仕事にはやりがいが付きもので、お金の為に働いて、余暇を楽しむと言う考え方があまり好きではない。自分の仕事にやりがいを持って、仕事を楽しめる人間、会社に仕える事が出来る人間が、一番いいと信じてきたし、今も信じていたい節が強い。勿論それってハードル高いし、もう大分そんな考え方も流行らない。実際にそれが出来るかと言えば、結構無理。でもね、そんな古風な考え方を何処か美徳としているところがある。恐らくプライドの問題だと思うけど。でも大企業に勤めたいと思わなくて、小さい規模の会社で働きたいと言うのもあって、その辺はちょっと違ったりもする。

多分非生産型の人間になり、娯楽を消費するだけに従事する人間になりたくない気持ちから来ているけれど、現状私は何も生み出していない。仕事に責任を持って仕事を楽しむという意識は、「自分が生産者側にまわる意識」といいかえるといいのかも知れない。実際よっぽどの立場でなきゃ生産者にもなれなさそうだけど。とにもかくにもまあただただ与えられたカレンダー通りのスケジュールを、そのまんまにこなすだけ。それもそれで、今まで手に入れようとして手に入らなかった「ふつうのひと」への憧れだから、手に入りそうな事に嬉しさという物はある。ただ、その暦通りの回転の中で、私は何を別に生産したいのか、何を生きがいとして行くのかという深いところまで考えると、どうにもこうにも頭を抱えてしまう。余りにも大きな夢を見るだけの余裕はない、ただ今ある毎日を何とか切り抜けて行くことが課題。三食食べて、きちんと眠る。時間通りに働いて、適度に遊ぶ。家族との会話を欠かさず、学生時代の仲間を大切にし、定期的にどんちゃん騒ぐ。そういう至極当たり前のサラリーマン或いはOLのひな形のような生活の難易度の高さという物を見ると、それが現実味を帯びそうなだけ、わがままも言いたくない。深夜3時4時まで寝つけず、発狂と過呼吸を繰り返してきた事の辛さを知っていると、夜12時前に眠たくなる事が有難くて仕方ないし、朝も6時に起きて弁当が作れることも凄いことだし、まだ9月入ってから電車でひどい過呼吸も起こしていない。私のレベルなど所詮その程度なのだ。それをいかに崩さないかということで目の前がいっぱい。

別にね、それはそれでいいんだよね。自分のことだけを見ていると。彼氏が全うに居ないことも構わない。誰かが何処か高いご飯を食べているその間に、私は安いラブホテルでコンビニのビールを飲んでいる訳だけど、それはそれでそういうものだってことで腑に落ちている。ただ、人の話を聞くと、人の姿が目に入ると、これでいいのかなと思ってしまう。いい加減まともに彼氏ぐらい、と思うけれど、出会うのもめんどくさいとかよくないんだろうけれど、めんどくさいものはめんどくさい。

兎にも角にも、世の中の基準という物は高い。同時に、私が私に課している基準も高い。昨日の夜から、無性に悲しさが襲ってくる。明るさに責め立てられいる心地がして怖い。何を書いているのだかもう取り留めもないし、文章も下手くそになった。おわりにしよう。

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