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「あんたみたいな人間の一体何処に良さがあるんだろうね」

てめえの辛さなどてめえでなんとかしやがれバーカ。(だらだら書いてみたシリーズ)|milktakanashi|note(ノート) https://note.mu/001203mm/n/n315cbad271f9


1か月ほど前に書いた文章だが、中々私はこの文章が気に入っている。言っている事は明るくない、寧ろかなり暗い。「お前にシアワセなんていう定義、似合わねえよバーカ」って、自分で自分をおとしめている文章だね。然し、そんなおとしめさえ(悲観厨で自分に酔ってる感じと言いますか)も、もはや甘えとなる年齢であること、考えると、それだけでいいとも思えない。そういう揺れもがきを書いた話。良いとは思えないけれども、私がここで書いている事は、私の基準で考えれば全然間違っていないし、「そんなことないよ」と言われたら「そんなことあるっしょ。所詮私は私だからまたどっかで振られてリストカットしてるわ。お前に私の苦しみなど分かるか、アホボケカス」と悪態もつきたくなる。そんな悪態つく方が趣味悪いと分かっていても、悪態はつきたくなる。勿論、私の気持ちなんて分かんないだろうし、私が私の事を追いつめる気持ちなんて、皆見て見ぬふりをするでしょ。見てくれていたとして、「なんて声掛けていいか分かんない」でしょ。かもしくは「何を言ってもこの人は聞かないだろう」とでしょ。だからかえって「どうしてそんなに思いつめるの?」とか聞いてくれる人は勇気がある人だと思う。でもいちばんうれしかったのは「良い文章書いたね」と人に言われたこと。私の内在的な暗さが、ちゃんと人に読んでもらえたこと。私がアウトプットした、もう、普通に生活してて口には出して言えないような事を、文章にしたら、「良かった」と言ってくれる人が、少しだけでも、いてくれたこと。それだけでも、日々生きて行くのには足りるかでも、気持ち少ないかぐらいの、生きる支えみたいなものが見つかった。だから、文字にさえしてしまえば、(もっちろん売れもせず、バズりもしないけど、)「良い文章書けたね」と、また1人のひとにでも思ってもらえるかもしれないと言うごくごく微小な期待が生まれるようになった。文字にしてしまえば、誰かこっそり見てくれるかもしれない。宛先に困った私の気持ちを一気に投げるには、そして、ひっそりと誰かからリアクションを頂ける事は、自分の気持ちを相談する行為とほぼ同一線上にある。だから私は文章を書く。たまにね。たまーに。誰に相談をしていいか分からない事を、誰かに聴いて欲しくて仕方ないけど、誰を宛先にしていいか分からない事を、そして、伝えたい相手は目に見えているはずなのに、その人に対して伝えられない事を。そうやって書く事に対しての肯定感がちょっとずつでも見えてきたのは、あれだけ「意味が無い」とか「文章書いてる私なんて根暗だし気持ち悪いしメンヘラかよ」と自分を突き落としていながらも、結局文章書く事で出来た知り合いってもんがいるわけだし、なんなら5月とかその人たちとばっかり遊んだし、自分が賢いとか全然思わないけど、それをきっかけにして遊んでくれる人たちがいる現実考えると、そのへんは嬉しいと思う。

だから、まぁいいかなって思って、何の拍子だったか思い出すのもめんどくせえのだが、「私は根っこが暗すぎてね、所詮ね、何をどれだけしても『所詮お前はお前だから、お前はシアワセになんてなれねえよ』って、自分に負荷を掛けてる」って話を、あいてにしたんだわ。私も泣きながらしてたけど。公園で。そしたら横で泣いてるの。私の話聞きながら。するほうもするほうかと思うでしょ。だけど、泣く方も泣く方で驚いた。別にあいてが泣くような話じゃ無いじゃんねって思って。「まぁ、そんなことはないよ」ぐらいで流されると思っていたんだけど、泣いていたなあ。私、自分の彼氏泣かせちゃったあって思って。公園で。逆レイプかよ、リンチかよ、みたいな感じですよね。公園でとか。つうかこんな事で泣くなよって話なんですけど。

もう結構、思い出すと私もまた涙出てくるんですけど。

だって関係ないじゃん。無論私から話をしたと言う事は私に理解をして欲しいと言う気持ちがあるということに異議はない。聞いて欲しいし、理解をして欲しくないわけじゃないけど、現実問題それは難しい。と言うか無理。だから、関係ないよ。私がどんなつらさを抱いて生きているのかなんて本当は。関係して欲しいけれど、関係する事によって、相手にも迷惑をかけてしまうから、本当はもっとちゃんと黙っていられたら良かったなぁと思う。あと単純にヒカれて嫌われるのは嫌だし。でも何度も書くけど、泣いてた。本人は気にしないでと言っていたけれど、今でも心にずーんと残っているし、「そんなふうに考えてたら俺も悲しくなるでしょ?そういう不安とかちゃんと言ってよ。」って言われて、こいつは何を寝言のような事を言っているんだと思った。だからそう言ってやった。「はぁ?何言ってんの?そんなん無理だし、お前に消せる不安じゃねえよ」って。勿論、本人だってそんな魔法みたいな事出来るわけではない事を知っているし、何せ私の噛みつき方も想像通りであったようだ。

こう言う時に嘘でもいいから「ありがとう」とか「うれしい」とか言えたらいいんだろうけど、そんなできもしないと分かっている事に対して、ポジティブな言葉でつっ返しても、逆に空しくなっちゃうよ。だからこそ、噛みつけるだけ噛みついた。「内心今言われた事に対しては小馬鹿にしてるよ。」って。だって無理だもん。自分にだってどうにも出来ねえことが、なんで他人がどうにかできるの?(まぁ、そういうケースもあるけど)全然わかんないし。

でも、世の中に言うシアワセの構図って、そういうありもしないできもしない事をあるできるかも知れないと思って信じこんじゃうところにあるのかなって思ったり思わなかったりもする。馬鹿馬鹿しいなと思う。だから 私は信じない。ただ、でも、こんなことで泣いてしまう人が世の中にはいるんだなあと言う事を頭に入れとくくらい、罰も当たらないだろうか。なんだかそれも、本当に、疲れるなぁ。と言うよりも、「所詮自分は自分だから」と自分を攻める人間だからこそ、こういう捉え方をしてしまうんだよね。


そういうわけで、泣かれたことがそこそこ衝撃で、1日機嫌が悪かった。

この話を含めても、ちょっと正直2カ月経って疲れてきた。

自分の蓄積の中には無いイベントや言葉や気持ちに対して向き合う事が、疲れてきた。だけれどもそんな疲れを誰に言っていいのか分かる訳無い。だって誰かに言えば、また「所詮私は私だから」と馬鹿にされるかもしれない。「そんな事で疲れてなくても、もうすぐ終わるから大丈夫だよ馬鹿じゃねえの」って、笑っちゃうよ。真面目にとらえてもとらえるだけ、「何そんな事で真面目に考えてるの?どうせ所詮お前はお前なんだから」と言う声もする。だから、真面目にとらえるだけ、どうせ無くなるものならば。どうせ、疲れていたとしても、誰に言っていいかわからないのだから。

因みに私はまだ母親には何も言っていない。(私が言っていないだけで、勿論知ってはいる)母親に何も言わない(言えない)理由はいくつかあるけど、今ここで1つあげるとするならば、母親のネガティブさにある。別に散々母親との関係が悪かった訳でもないけれども、きっとあいつは私にこう言うだろう。

「あんたみたいな人間の、何処を見て好きになってくれたんだろうねえ」と。

自分で自問自答を繰り返して言葉にする分には構わないが、親には言われたくないよ。なにをしてもそうだった気がするし、私が常に母親に言われているのは「あんたみたいなだらしなくて家事もできない人間、恥ずかしくて嫁には出せない」と。所詮私は「あんたみたいな人間」なのだ。母親からしたら「あんたみたいな人間」なんだよなぁ。いまさら母親の所為にするのも超かっこ悪いから、したくもないのだけれども、でも、いつかいつか昔にかよくわからないけど、言われたその言葉に自分が酷く傷ついていて、自分には誰かに認めてもらえる・好きになってもらえるだけの魅力が無いと思いこむには事足りるだけの一言だったなって、思う。だって散々自分でも探しまわって、自分の中に答えが見つからなくて、その挙句に、これかよって、思って。

もともと私の母親は褒めるのがめちゃくちゃ苦手で、自分にもそんなにポジティブなタイプでもないし「所詮私みたいな人間は…」と自分で言ってしまうタイプ。だから私のネガティブさはそれが伝染している事は間違いないんだけど。でもわたしのネガティブさはそれの何倍も何倍も深い。

いまはその当時に比べて、私にも知り合いがちょっとずつ増え、特に私が文章を書く事を通じて知り合った周りの大人の方々が、ちょっとずつ私の長所を知ってくださっている。私には私の長所はさっぱりわからないけれども、先に書いたように、私が書いたものを読んで「良かった」と言ってくれる方々がいるってことが見えてきた。寧ろ「なんでみるくちゃんがモテないのかわかんない」と言って下さった方もいる。自分の良さを知っている人たちが増えたのだから、そこまで親に認めてもらおうと思うこともないはずなんだ。私と関わった大人の方々で、ごくわずかな人数の人は私の事を生温かい目で見ていてくれて、生温かく心配をしてくださっていることも、私は知っています。変わらずこんな捻くれたこと言い続けていて危ういなあと思っているかもしれないけども、でも、あの、ありがとうございます。捻くれたことを言いまくって、ああでもないこうでもないとうまくいかない下手くそなロジック積み重ねて、私は人より時間かけてしまうタイプなんです。寧ろ、私がそういうタイプの人間であることをうっすらと教えてくれたのは、私の書いたものを読んでくださった大人の方々だ。


だけどさ。だからかな、言われると、悲しい。「所詮」って。


私も私に対して、「所詮私だから」と口にすればするだけ、悲しい思いを、ほんとうはね、させていたのかもしれないけど。でも知らないよね。


纏まってなくてあれだけど、久々にちょっと長くて重いのを書きました。


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