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旅の締め、感情の処分祭。(本当にどうだっていいシリーズ)

2014/11/01
リアルテキスト塾同窓会に向かうべく、京都へ。


「結局俺ら、メンヘラは治らないね。」


俺ら、の、ら、ってなんだよ。
この一言を引っ提げ、私は家を出発する。





福岡の方々がリア充だった。
東京の我々は眼鏡だった。


私は私で京都入りした後、前職の仕事で仲良くなった友達との再会を楽しんでから会場に向かったのもあり、あまりきちんとお話ができず、悪かったなあと思う。
飲み会の席では、「みるくちゃんの顔見て安心して疲れた。」と言われて、「あははは知ってますww」って笑った。ここ1年でそういう余裕が少し出来た。笑える余裕ができた。


その後旅先ながら調子に乗ったのか、3時間ほどまだ飲んでて、普段考えたくても話したくても話せないことを話した。





「瞬間に共鳴することが、情報を情報たらしめる。」


そういう事だろうか。


情報 と言うものは、ただそこに流れていることではなくて、「自分にとって意味があるかどうか」で、自分にとって意味があって初めて、情報は情報と呼ばれる資格を得る。


わたしがAくんのことが好きという前提なら、AくんはBちゃんのことが好き。と言う事実は大変な情報になるけど、いま新幹線の隣に座っているお姉さんには、何の意味も価値もないだろうから、それは情報にはならない。


この辺は大学時代の授業内容かな。
(大学時代はこんな事を真剣に考えてどうするんだと思っていたが)



感情は、認識がされれば、情報だ。
嬉しい、悲しい、寂しい、辛い。
その情報をアウトプットするための道具が、文字であり、音声であり、体温。
「嬉しい。」という文字を心に浮かべるから、嬉しいポーズをとったり、誰かの手を取る。
それは非言語のやり取りなのか。
心で思う時点ですでに、言語のやり取りなのではないか。
とかそんなことを考えて、答えが出ない、出る訳もない。
そんな難しい事を、といつもなら言われちゃうけど、そんな難しくもないことを、昨日3時間くらい話せて、楽しかった。
瞬間の共鳴があって初めて、人は感動する。
共鳴を呼ぶ発信者の腕も腕だし、共鳴をする受け手側のコンディションもコンディション。だから、凄いね、ホントはそんな簡単に感動とか、相互理解とか、生まれる訳なさそうだよね。







昨年は10月に京都に行った。皆さんが一生懸命働いてる中、私も働いてた。東京に戻ってきて、自分が何も出来てない、何も力がないことをすぐ痛感して、一気に弱った。それこそ、いてくれたらいいの言葉の受け取り方もわかってなかった。いるだけでなんの役に立ってるの?とか。


一気に弱ったところに、君が現れて、その翌日私は教職の授業を蹴って、君は何も嫌になって会社を早引きし、午後5時ほどから御茶ノ水のHUBで酒を飲んだ。酷く風も強く、台風が来ていた日だった。君にはまだ恋人がいて、私もそれをずっと知っていた。そのあとキスをした。少し体温の無駄遣いをして、私はどう笑っていいかわからなくなった。それでもずっとそうやって生きてきた。


それだからこそ、特に今年に入り、寂しさと性欲の線引きがなお一層わからなくなった。性欲だけで片付けようと努めていた事象に対して、何か別の感情が原動になり、其処に存在する事がうまく受け入れられない。





その過去のこと。去年の1月に偶然寝た人の事を好きになり、敢え無く玉砕した。それ以来何度か夜中にメールが来て、その人の性欲だけを見た。結局私が荒れてバランスも崩れて、その人にも迷惑をかけた。


「何がセックスで愛を確かめ合うだ。」
恋人同士のその行為を前提とした雑誌記事にも腹が立ち、そんな事を気軽に言う女友達にも腹が立ち、夏には例のananが出ればそれに火を付けたくなり、秋には大学まで歩く中で、「お前昨夜彼女のこと寝かさなかったんでしょ?」という会話が耳をつけば彼らにどうしようもない苛立ちを感じた。自業自得でしかないのだ、ないんだけど。


結局その後、その人には彼女が出来たという話を人伝に聞き、私はまた大泣きをした。呪うかわりにキーボードをひたすら叩いた。そして、また失声した。だから、キーボードをひたすら叩いた。それが昨年の12月手前の話。





私とセックスをしたい。

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