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転んで擦りむいて強くなる

 人間五十年近く生きているとほろ苦くて悔しくなる思い出の一つや二つはあるものだ。

 これは私がまだ二十代で大学を卒業して地元で就職したのだがこの会社が超絶ブラック企業で入社から一度も給料を払ってくれなかったので二か月で辞めた頃の話だ。

 学生時代にアルバイトで貯めたわずかな貯金も底を尽き、精神的ダメージも大きかったのでどん底の時期第一章の幕開けだった。

 実家暮らしだったので生活には困らなかったがいい若い者が部屋にこもって一日中ゴロゴロしているのはとても息苦しかった。

 当時はニートという言葉は無かったがその状態に近かった。

 ああ、もうこんなんじゃ生きていても仕方が無いよなと悲観的な事ばかり考えて家族の誰とも会いたくなかった。

 そんな生活を続けること二か月、ある日私の部屋をノックする音がした。

 誰?と聞くとわしじゃと祖父の声が聞こえた。

 それまで一度も私の部屋を訪ねてきたことが無かったのでややビックリしつつ何の用?と聞くと今から出かけるからスーツを着て出てこいと言われた。

 私は生粋のお爺ちゃん子であり、大学時代は文通をしていたくらい仲が良かった。
 
 そんな祖父の命令に逆らう事が出来るはずもなく、またどうにかしてこの部屋から抜け出すきっかけを暗中模索していた私にはむしろ救いの神に思えた。

 言われるがまま二か月ぶりにスーツに袖を通して部屋の外に出ると祖父はニッコリと笑って散歩に行こうと言い出した。

 散歩に行くのに何でスーツなんだろうと思ったが、とりあえず後ろをついていった。

 当時七十をとうに超えていた祖父は健脚で二か月間部屋にこもっていた私はついていくのがやっとだった。

 十五分ほど歩いて辿り着いたのはこれといって特徴のない普通のビルだった。

 何でこんなところに用事があるんだろうと思いながら後ろをついていくと祖父は受付で自分の名前を名乗り、それからすぐに応接室に案内された。
 
 私は状況が全く飲み込めずオドオドとして椅子に浅く腰かけていた。

 しばらくするとノックもなしにドアが開いて非常にふてぶてしい態度のおじさんが入ってきた。
 
 すると祖父は椅子から立ち上がりその人にお時間を取っていただいてありがとうございます。とお礼を述べた。

 私もつられて頭を下げた。

 おじさんはドッカと椅子にふんぞり返って、でこれがあなたのお孫さん?と聞いて私に不躾な視線を浴びせてきた。
 
 鋭い眼力に圧倒されていると祖父が私にこの人は商社の社長さんでワシが先代から何かと世話になっとるんじゃと言った。
 
 それから祖父はどうでしょう、この子を使ってやってくれませんか?と私を売り込み始めた。

 私にとってみれば青天の霹靂である。

 そんな大事な話なら事前にしてよ爺ちゃんと心の底から思った。
 
 社長さんはじっくり私を眺めると理由もなく君じゃ話にならんなと言ってタバコを吸い始めた。

 しばらく気まずい沈黙が続いて祖父が私の良いところをアピールしてくれたが事態が好転することはなく、残念ですがこの話は無かったことに、私も忙しいのでこれでと言ってさっさと部屋から出ていった。

 その時の祖父のあからさまながっかりした表情が今でも忘れられない。

 帰り道に先代の社長とは※ちんぐうじゃったから大丈夫だと思ったんじゃがのうと意気消沈していた。

 私はだまし討ちで面接をさせられた衝撃よりも大好きな祖父を簡単に傷つけたふんぞり返り社長に無性に腹が立ってきた。

 家に帰った時に爺ちゃん俺ちゃんと働くから心配かけてごめんと言うと、おおその意気じゃ、とニカッと元気に笑ってくれた。

 その日以来吹っ切れたので翌日からハローワーク通いと履歴書を書く日々が始まった。

 それからアルバイトをしつつ最低限の生活費を実家に収めながら就職活動に励んだ。

 その努力の芽が花開くまでにかなり時間がかかったがどうにか再就職できた。

 その時の祖父の嬉しそうな顔が今でも忘れられない。
 
 あのショック療法が無ければ今も私はずっと引きこもっていたかもしれない。

 そう考えるとゾッとする。

 人生の転機という物は案外些細なキッカケだったりするんだなぁと最近は思う。
 
 爺ちゃん、ご無沙汰しております不格好ですが毎日何とか暮らしていけるくらいの余裕は持てるようになりました。

 近いうちに好きだった日本酒を持ってお墓に参らせてもらいますね。

 もう一度でいいから一緒に飲みたかったなぁ。

 ※ちんぐうとは古い山口弁で親友という意味です。

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