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【SHINee キー/日本語訳】"30歳になってもK-popアイドルをしているとは思わなかった" (2010216 allure)

両親は彼が医学を学ぶことを望んだ。彼は代わりにダンスを学んだ。ポップスターになるという煌びやかな夢を彼が叶えるのは2008年にSHINeeとしてデビューした時のことである。喜びに満ちた12年を経て彼のファンダムは小さな国ほどの規模となり、ハンドバッグ広告にも抜擢され、韓国軍への従事を経て、彼はこれまでの経緯に思いを馳せることになる。

一年を通して、我々はAllureと同じように今年30歳になる魅力的な人々に話を聞いているところだ。(Allureとの合同生誕祭だと思ってもらえればよい。)K-popを代表するグループ、SHINeeのキーはK-popスターとしての自身の人生を振り返ることを始点として話を進める。美容とファッションにおける挑戦的な趣向(スプレーカラーのあの坊主頭を忘れてはならない)で知られる魅惑のパフォーマーはAllureのデジタル美容編集部のDevon Abelmanと席を共にし(勿論zoonを介してではあるが)、ほぼ3年ぶりとなるSHINeeのカムバックを眼前に節目となる誕生日について自分の言葉で考えを共有してくれた。

国によっては僕はすでに30歳です。厳密には9月23日に30歳になるのですが、韓国では実はもう30歳なんです。若い時には、きっと今ごろ誰かの夫か父親になっているだろうと思っていました。30歳っていうのはそれだけ成熟しているイメージがあったんです。僕の両親は28歳で結婚しました。もう通り過ぎちゃいましたよ。今では結婚なんて想像もつきません。

実は、30歳になっても歌手を続けているとは思ってもいなかったんです。他の歌手を見てみると、そのほとんどが30歳になるまでには歌手としての活動が減り始めるんですよね。まさか自分がまだこんなに活発に活動しているだなんて。でもね、今も気持ちは18歳のままですよ。何も変わっていません。

幼い時は物静かで注意深いタイプでした。常に他の人の立ち居振る舞いや行動や発言を観察してばっかりで。見知らぬ人たちと一緒にいるときには、あらゆるものを観察して周りの様子を目に焼き付けていました。でも心の中ではこの性格が飛び出てこようとしていました。それは熾烈でした。

僕の母は看護師で父は投資アドバイザーです。両親は沢山勉強をして医者になるようにいつも言っていましたが、まさかとんでもないことでした。僕は学校で隠れてダンスを学んで、それから勿論歌うことも大好きでした。15歳の時に両親に隠れてSMのオーディションを受けました。オーディションの後に、両親に面と向かってアイドルになりたいことを伝えました。(実際はよく分かっていなかったんですけどね。)両親は本当に衝撃を受けていました。僕のそういう側面を見たことがなかったんです。2人は言いました。「あなたはとても内気な子なのに。」「スターになんてなれない。」と。僕の言っていることが理解できなかったんでしょう。両親に反発されているように感じました。

その後の両親は三日三晩寝ず、夜中もずっと起きたまま僕について話し合っていました。僕はぐっすり寝ていましたけどね。結局2人はダメだと言ったところで僕がK-pop歌手の夢を諦めないだろうということに気付きました。

毎週末、僕は電車に2時間揺られてソウルに行き、練習をして、そしてまた故郷である大邱に帰りました。ソウルに住んでいる練習生たちが羨ましかったです。その子たちは毎日会社に行くことができたから。僕は全ての練習とリハーサルに必死でした。電車の中でも沢山泣きました。週末には全く休みがありませんでした。それでももっと練習がしたかったです。そのくらい行く末が不確かでした。何としても上手くやってデビューしなければいけませんでした。でも自分はきっとできると思っていました。ステージに立つ自分が想像できていました。僕は視覚化して明確化することの力をとにかく信じていたんです。今でも曲を選ぶときにこういうことをします。視覚化することができなければ大体はやりたいとは思いません。僕は曲を"見る"ことができないと作り上げられないんです。

(2008年にSHINeeとして)デビューすると全てが想像とは異なっていました。ステージでのパフォーマンスに加えて、テレビでのインタビューがあって、バラエティー番組があって、次のアルバムの準備があって、勿論あらゆる練習がありました。

デビュー当時はメンバーごとにキャラクターがあってそれぞれ演じなければならない役割がありました。僕は"内気で大人しいKEY"でした。最初はその役割に慣れませんでしたよ。それは自分の感覚とは正反対だったから。

正しい表現なのか分からないけど、SMが僕たちを"作った"んです。僕たちがSHINeeを作り出した訳ではありません。僕たちはプロデュースされたグループだったんです。用意されたイメージとそれに合った曲を渡されました。デビューしてから7年後の2015年になって初めてスタッフが僕たちの意見を聞いてくれました。その時気付いたみたいです。「よし、自分でこれを決めないと」と思いましたが、何を選んでいいか分からなかったんです。

"Odd"(2015年5月リリース)のアルバムは記憶によく残っています。他のメンバー達と"view"をタイトルに選んで、全体的なコンセプトも決めて、それから衣装は僕の意見が基になっています。お客さんたちにとっては目新しかったかもしれないけど、ビンテージでオールドスクールな衣装でした。(当時)他のグループは大体揃いの衣装を着ていました。だから僕たちの"view"でのスタイリングはびっくりするようなものだったんです。時代の先を行き過ぎていたから気に入らなかった人も多かったと思うけど、後悔はしていません。初めてその衣装でステージに立った時、これこそSHINeeだって思ったのを覚えています。僕たちが帰ってきたって。

僕は(外見を通じて)自分の音楽やアイデンティティといった全てを表現することにしました。美容とファッションは自分の個性を強調する道具になりました。
僕はとても保守的で伝統主義な家庭で育ちました。両親はピアスを開けることすら許してくれなかったんですよ。デビューしてから、僕たちが何を身に付けるにつけても僕たちのファン、特に女性ファンが似たようなものを買って自分たちでも着ていることに気づきました。それは僕にとって象徴的な瞬間だったんです。(性別で)境界線を引く必要を感じられませんでした。

2NE1がパフォーマンスで着ている服を見て「わぁあれ超かっこいい、僕も着てみよう」なんて考えたりしていました。僕にとっては男性らしさと女性らしさの間に境界なんて無いし、他の人の自己表現にも自然に反応するようにしています。僕はJill Stuart Accessory Koreaのモデルをしたことがあるんですよ。その写真では僕がバッグを持っています。僕は「あら、キーが持ってるあのバッグ、彼氏に買ってもらいたいな」なんて風には思ってほしくありませんでした。誰もが「あのバッグ素敵、買おうかな」って言うくらい、自然に見せたかったんです。女性がメンズだけを着たり、皆んなそれぞれ違うように服を来ていることが当たり前で白い目で見られないような日が来てほしいと思っています。

2019年3月にSHINeeとしての活動を休止して軍隊に入隊しました。除隊したのは去年の10月です。気付くと他の人に意見やアドバイスを求めなくなっていました。今は自分で決断をしようとしているんです。もう失敗は怖くないです。それよりも自信を持って自分がすることを恥ずかしがらないことがもっと重要なんです。失うことは怖くありません。お金も名声も何でも。僕は自分に正直でいたいんです。内気な面もあります。でもこういう騒がしくて外向的な面もあるんです。自分のこういう二面性の全てを自分のアイデンティティそのものとして大切にする術を学んでいるところです。


【原文】(by Devon Abelman)
※読みやすくするために文意を損なわない範囲で補足・省略している部分があります。


【補足】
・バラエティのオファーを受ける際に出演する自分を思い描くという話をしている動画(リンク先25:00~辺り)


・男性芸能人として化粧品のモデルをする時に自然に見せたいという話をしている動画(リンク先11:38~辺り)

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