未完成な世界の生き方を教えるのが教育か、それとも未完成な世界に抗うことを教えるのが教育か。

この世界は素晴らしく、完全無欠な社会で、改善の余地など全くない。

こう断言できる人は、とんでもないほどのポジティブシンキングの持ち主か、噓つきのいずれかだ。

ほとんどの人は毎日のように愚痴を言い、何の努力もしないけれど世界が変わってくれることを信じている人ばかりだと思う。

いまの世界に適応して生きるか、それともいまの世界を変えるために抗うか。どちらが正しいかはわからないけれど、僕らは必ずどちらかを選択して生きている。

さて、教育者は一体、どちらの生き方を教えるべきなのか。

未完成な世界に適応するための生き方を教えるのはこの世界の完成を諦めることを意味しているし、未完成な世界に抗うことを教えるのは生きづらさを生むだろう。

抗う人がいるからこそ、世界は少しずつ良くなっているし、適応する人がいるからこそ世界は円滑性を保っているのだから、一概にどちらが良いとはいえない。

好きな方を選ばせ、伴走して応援するのが教育者ではないかと、ふとおもう。




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