傷か鍵穴か

野口あや子さんという歌人の歌にこういう一首があるらしい。

「差し入れて 抜いて気が付く 鍵穴と していたものが 傷だったことを」

私がいま〝未来の快適さを手に入れるための鍵穴〟だと思っている傷は鍵穴になりうるのだろうか。

疑問は他にもたくさんある。
たとえば、今の私は鬱なのか、適応障害なのか、別のものなのか。
病気ではなく、ただ単に長期間無理し続けた結果なのか。長期間ではなく、今の会社で、多すぎる業務を減らすために戦って疲れた結果なのか。
薬が必要なのか、傷の多い過去をカウンセリングすれば健康に暮らせるのか。

これらの問いに答えがあるとして、ヒントは全て私が持っている。
それを医者に正しく提示しなければ答えは一生出ないのだと思う。

なので、鍵穴を得るべく傷を集めて触っている。膿んだものや血を流しっぱなしのものもあるので慎重さが必要だ。

さて、こういう理由で「名前はまだない」と題して過去を振り返りはじめた。実は幼少期から現在まで全ての下書きは一日で終えていたが、読み返したら丸一日泣き続けた。私のしたことは「ひとつひとつすくい上げる」ではなく「すべてを掴んで並べる」でしかなかった。傷をドミノ倒しにしてしまって、全ての傷が痛い。たいへんな馬鹿であった。
しばらくもう過去の傷には自分で触りたくないので、「名前はまだない」シリーズ(?)は小学生編までで公開するのは終わりとすることにした。
推敲するために読み返すのがとてもつらい。
ただ、やはり書くというのは整理になって良し新たな気付きもあると再認識できたのは良かった。


「母性」という偶像を求めてさ迷い歩くゾンビを早くやめたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?