見出し画像

大学院博士課程辞めて就職した設備屋を辞め、無職で貯金全部使って山梨県にたどり着いた。

2019年6月30日(日)。

こんな日が来るなんて、俺が一番予想してなかった。
まあ、予想できてたらこんなことにはならん。

自分史上初の、何にも属さない日。パソコンで「むしょく」と打てば「無色」と変換される。俺は社会的マイノリティの海に手ぶらで飛び込んだ。
※注意…俺はいつだって「無職」と変換したい。色はある方だと思う。


◆1991年11月29日生まれ@福岡県行橋市

動くことが好きで幼稚園の時はサッカーをやっていた。別にサッカーに興味があったわけではなくて、動き回って汗をかけばなんでも良かった。幼稚園のマラソン大会でも上位だった(と思う)。

小学生の時に地元のこども会がソフトボールクラブを立ち上げたので、地域の友達がみんなソフトボールを始めた。サッカーを辞めてチームに入った。ピッチャーを決めないと試合ができないので、全員が腕をグルっと1周してボールを投げてみる。見よう見まねでウインドミルをさせられた。たまたまキャッチャーミットの近く投げることができたので、俺がピッチャーになった。

勉強も普通に授業受けて、テストの点数は良かった。1学年10人くらいしかいなかったから「優等生キャラ」で6年間。相変わらずスポーツも好きだったので将来はスポーツの仕事がしたいとか言ってた。

中学生になった。ここも小さい学校。男子の部活は3つしか無くて、野球は坊主が嫌だったしバスケは先生が怖そうだったから残った剣道部に入った。3年間普通に稽古して道場も通って同学年がいなかったので部長になって最後の大会で2回戦で負けて普通に終わった。中3の時に人生で初めて彼女もできた。勉強もそこそこできた。友達に数学とか教えたり教えてもらったりするのが楽しかった。

高校も、地元の進学校に受かった。父親の母校だった。両親も真面目だったので、せっかく受かったから勉強に専念させたかったみたい。でもサッカーがもう一回やりたく親の反対を押し切ってサッカー部に入ったけど、成績が悪くなってきたので1年で辞めた。やめたからと言って成績が上がるわけでもなく、センター試験ズッコケた。家の経済状況から私立は無理。でも高校で少し興味を持った物理をやりたかったから、担任の先生に「センターのこの点数で国立で物理ができる大学を教えてください」って聞いたら「お前、ここしか無いぞ」って言われたのがシマネダイガク、んや、島根大学。

親戚のおばちゃんに「島根大学に行くことになったよ」って言ったら「あぁ~島根大学か!」…知ってんの?!「鳥取県にあるんだよね?!」………。

◆大学はストレートで7年@島根県松江市

優等生キャラから一転、人生奈落の底に突き落とされた感じでしまね県のきゃんぱすライフがスタートした。昼休みに「学食行こうゼ」的なノリが鬱陶しかったので(俺のペースで行かせてくれ)、特に集団で群れることはなく、とりあえず部室に行ったり(クラシックギター部というのに入って部長もやった)、波長の合う数人と時間をつぶしていた。

初めての長期バイトはスナックでボーイをした。大学の生協に憧れていた「カフェ」で募集が来てたから応募したら「20時に○○ビルの2階に来てください」と言われた。夜型のカフェなんかと思った。まさかスナックだとは思わずに。
ただ、マスターが剣道やってる人で、意気投合(?)したのでとりあえず働かせてもらうことになった。結局、大学院が忙しくなるまで5年続けた。このマスターが俺の人生の師匠。この人に出会えて本当に良かった。東京の大学で成人式はベルサーチのスーツに金髪リムジンで会場入りした破天荒な剣道7段の最高師匠。スノボでスポンサーもついてたらしいハイスペック酒飲み師匠。俺はこの人が大好き。今でもお歳暮送りあってる。日本酒の一升瓶以外は「宛所尋ね当たりありません」で返ってくる(嘘)。

その後バイトは、(本物の)カフェ・家庭教師・居酒屋・DJ ラウンジバーテン・歴史館スタッフ・イベントスタッフなど、7件くらい掛け持ちして結構充実してた。

本業(学生)は、素粒子物理学(世界で1番難しい学問)を専攻して宇宙の研究をしていた。卒論はヒッグス粒子(2013年ノーベル物理学賞)、修論はニュートリノ振動(2015年ノーベル物理学賞)をテーマにした。
教授や研究室のメンバーにも恵まれて、大学院の修士号取得後さらに進学した。当時は大学教授になりたいとか言っていた(行きつけだった居酒屋のキープボトルには「教授になるぞ。」と書いてた)。保険をかけて、教員免許(高校 理科 専修免許)も取った。

大学には、学部4年間 + 大学院修士課程2年間 + 大学院博士課程1年間の合計7年間通った。博士課程は3年間あって、博士論文が通るとめでたく「博士号」がもらえる。けど、学会とかで友達になったのは東大、東北大、北海道大とかすげぇ大学のやつばっかりで、脳みその構造がJava とJavaScript くらい違った。いや、メロンとメロンパンくらい違った。もういい。とにかく別の人種かと思った。ここでポジション獲得してメシ食っていくのは無理だと判断した。だから博士課程1年生で大学を辞めて、就活することにした。24歳の時だった。

今思うと(もちろん当時も思っていたけど)、ここまで自分の思い通りの道を応援してくれた両親には心の底から感謝している(生活費は自分でなんとかしたけど授業料は払ってもらってた)。というか「あんたが言い出したら聞かんけしょうがない」と半ば力づくで自分の道を進んできた。進ませていただいてきた。親が死ぬ前に死んでも恩返しすると決めている。

◆設備屋に就職@佐賀県佐賀市

研究者(大学教授)の道をあきらめた俺は、仕方なく就職活動を始めた。スナックのバイトで散々サラリーマンの愚痴や醜態を目の当たりにしてきた自分が、死んでもなりたくなかったサラリーマンになるためにリクルートスーツを着て動き回るのが気持ち悪かった。けど、当時は普通に就活して普通に会社で仕事する選択肢しか知らなかったから何の疑問も持たずに一生懸命就活した。一生懸命。

「エントリーシートの書き方」とかマジで鬱陶しかったから、オリジナルのエントリーシートで応募してたけど、大手はことごとく書類で落ちた。

佐賀の設備会社から内定をもらった。ガスを扱う会社で、自分自身も「エネルギー関係の仕事がしたいかも」となんとなく思っていたし、社長と専務と幹部の人柄に惚れたからここに決めた。

一生懸命働いた。

本当に一生懸命。

社長からもすごく期待してもらっていた。
**以下、自慢話**
地方の中小企業でしかも新卒採用を始めて2年目とかの会社だったので、理系の大学院出身で真面目そうな人間に対して最初から期待値は高かった。そして俺は難なくその期待に応えた。少しくらい難はあった。だけど俺は一生懸命だった。だから苦労も当たり前だと思っていた。会社のことを全部信じていた。
将来的には分社化・ホールディングス化する予定で、そのうちの1社、エネルギーに関する子会社(当時聞いた年間予算は10億円くらい)で俺が社長になるのはほぼ確実だった。「酒を飲めば酔っぱらう」くらい確実な未来だった。酔っぱらう以外選択肢はあり得ない。入社1年目から新規事業のリーダーをさせていただいた。
下積みももちろん経験した。ガスの国家資格は2つ合格した。通常業務は、顧客の住設機器メンテナンスの部署に配属された。毎日のようにトイレのうんち詰まり、キッチンの排水詰まり、蛇口の水漏れ、水が出ない、お湯が出ない、電気のスイッチがきかない、コンロの火が付かない、給水給湯配管、給湯器取り換え工事、洗面化粧台取り換え工事、換気扇取替 etc... 住まいのお困りごとはなんでも対応した。総務の人から、「島田さんが訪問したお客様にアフターフォローの電話すると「あの感じのいい若い子ね!」ってよくお褒めの言葉をいただきますよ」って言ってもらったときは嬉しかった。
会社もイイ人ばっかりで、とても幸せだった。
**自慢話終わり**

ただ未来が見えてしまった以上、今後の俺の会社員ライフはただの「確認作業」ということになる。それはちょっと辛い。多少の誤差はあったとしても、10億が50億になるくらいで、俺にとっては「焼酎を飲もうと思ってたけど日本酒を飲むことになった」くらいの誤差でしかないと思った。俺はウイスキーだって飲みたいしチャイだって飲みたいし、肉も食いたい。

・もっといろんな価値観に触れたいし、
・もっと自分の可能性を拡げたいし、
・もっと知らないことを知りたい。

俺は2年3ヵ月の会社員ライフに終わりを告げた。

◆俺の人生観@現時点での

貯金はほとんど無かった。でも清々しかった。不安はあった。でもワクワクしていた。

会社員は学びもあったし充実していた。けど俺にとっては制約が多すぎた。

 ・○時~○時の拘束 (時間の制約)
 ・いくら頑張っても上限が自明な給料という制度 (お金の制約)
 ・多少理不尽なことでも会社の看板を背負っているから身動きが取れないときの不自由 (心の制約)
 ・地域密着でその土地のことしかわからない (場所の制約)
 ・組織という閉鎖的な決まり事 (経験の制約)

「生活ができないから給料をもらうために働かなきゃいけない」という思考から脱出したかった。

生きるために働く?
え、「生きるために」生まれてきたんか?
生きることができたら人生の目的達成なんか?
いや、違うやろ。

みんなイイとこがあるのに、みんな我慢してる。
みんなやりたいことあるのに、みんな我慢してる。
そんな、何のために生まれてきたんかよく分からんような水槽から俺は脱出した。

お金がないからやりたいことができないとかは違うと思った。
「お金が無かったらやりたいことできなくね?だからみんな働くんやろ?そうやって働いて苦労してるから、その分時間つくってやりたいことできた時はありがたいなと思うし幸せなんやろ?」とかいう昔ながらの終身雇用的な、明治時代の富国強兵とかの教育をいつまでたってもそのまま引きずってなんの改良もせずに現代にそのまま適用するしかない思考停止軍団とか、茶碗にこびりついて固まった米粒くらいカチカチで鬱陶しい意見にまみれた世界線からはもう出ていくぞ。

みんながやりたいことをやりたいと思ったときにやる。みんなが輝いてみんんなで幸せになる。悪い奴なんてそこにはいない。だっていじわるとかしなくてもみんな満たされてるし、もっと楽しい娯楽でいつでも遊べて好きなように生きることができるからね。
そっちの世界線に移動したんだね。俺は。

◆貯金全部使って未開の地にやってきた@山梨県都留市

ただ、一歩会社の外に出た自分は、あまりにも無力すぎた。結局お金は必要だった。笑。食いもんはいるし、飲みもんはいるし、税金はなんかいろいろあるし。お金っていったい何なん、て考えた。

働いたらもらえるもの?
いや、そんな表面的なことじゃない。そうであれば俺はすぐにアルバイトを始めてたはず。

今のとこは、自分のスキルとか能力とか人柄とか、人から信頼されるものやことがお金に代わっていそうだなと思った。特別なものじゃなくていい。結局世の中1人では生きていけないし、持ちつ持たれつなんだから、自分にできて相手にできないことは必ずある。じゃあ、自分が、何か人に「与えることができれば」その価値の分だけ何かが返ってくる。それがお金の時もある。ただそれだけ。

人に何かを与えるには自分が何か持ってないといけない。すでに持ってるものでもいいけど、思いつかなかったから努力して身に付けたいと思った。しかも、自分の興味があることにしたい。じゃないとこっちの世界線に来た意味がない。俺がやりたいことは何だ?

俺はこれを成し遂げるんだ!みたいなやつはまだよくわかってない。いろんなことをやりながら、それを見つけていきたい。

ひとまず、
 ・自分のスキルになって、
 ・情報を発信できるようなポジションを獲得できて、
 ・組織に属さずに、
 ・時間・お金・心・場所・体験 の制約がなくて、
 ・好きで続けられそうなこと
を探すことにした。

YouTube でいろんな人の話を聴きまくった。

孫正義、ホリエモン、前田裕二、箕輪厚介、武井壮、林修、キンコン西野、島田紳助、松本人志、・・・
それから界隈のインフルエンサーの動画やブログを観たり、
さらにニュースアプリで世の中の動きを把握したり、
とにかくあらゆる情報を仕入れた。全部無料だし、簡単すぎた。そしてなんとなくやりたいことが見えてきた。

「パソコン1台あればできそうな、フリーランスのエンジニアになろう」

そこからまた調べまくった。プログラミングひとつとっても、言語が死ぬほどあった。HTML, CSS, JavaScript, jQuery, PHP, Ruby, Python, Swift, ・・・。
いろいろありすぎてわけわからんから諦めようとは別に思わなかった。「知りたい」と思った。無料の学習ソフトとかもやってみた。なんかちょっと面白いかもと思った。

そして、本格的にスキルを身に付けていこうと考えていた時に、「田舎フリーランス養成講座」を見つけた。1ヶ月間田舎に滞在して勉強するらしい。通称「いなフリ」について今度は調べ始めた。

6月末に会社を辞めて、7月は月収ゼロ円。8月に運よく山梨で開催されることがわかった。山梨?まあどこでもいい。とにかく行こう。受講料は?今月切り詰めればなんとか足りる。でも9月からの生活費はどうする?貯金ないぞ。まあ山梨で頑張って稼げるようになればいい。9月の友達の結婚式はどうする?11月にも結婚式よばれてる・・・

いやもう知らん!

行かない理由は探さん。

行ってなんとかするんじゃこんチクショウ。

で、貯金全部使って山梨に来た(←今ココ 2019/8/14)。

実際、プログラミングは技術的に足りて無いことが多すぎてかなり厳しい状況。だけど講師陣が頼もし過ぎるから、ソレが支えになっている。勉強して自分のスキルが身についてそれがお金という形で返ってくるという世界。やった分だけ成果が見えるようでなんか楽しい感じ。

あと、いなフリ界隈の繋がりが半端じゃない。簡単にインフルエンサーの名前がどんどん出てくる。いろいろ調べてた時に「この人凄いな~」と思ってた人も普通につながってる。

そしてみんな物凄いイイ人。めちゃ楽しい。コーディングやること多すぎるけどめちゃ楽しい。

今日も楽しく頑張ろう。

***

◆さいごに

こんな感じで楽しくやっています。

こんなに長文書いたことなかったかも。

ただ自分の自己紹介を書いてきただけですが、もし何か感じることがあれば、スキとかシェアとかコメントとかいただけたらもっと嬉しいです。励みになります。ブラッシュアップします。

最後まで読んでいただいて、本当にありがとうございました。
いつかお会いしたときは、一緒に楽しいことやりましょう!

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?