ロマンティックなリアリスト

今日、マッチングアプリで出会った人とデートをした。
すごく楽しみにしていた。相手はいい人で真面目そうで、ちゃんとしてそうだった。実際楽しかったし、初対面なので素を出し切っていたわけではないけれど、職場でのように無理やり口角を上げることはなかった。いい感じだな〜と思いながら過ごしていた。
けれどわたしはある事に気づいてしまった。
もしかしたら人生に恋愛いらないかも、と。開いた口が塞がらなかった。
わたしは元々典型的な恋愛体質だ。恋をするとその人のことしか考えられなくなって、ことある事に一喜一憂しては好きな人の些細な仕草や言葉で目がハートになってしまう、盲目的で恋愛の優先順位が高い人間だった。
最後に人を好きになったのはもう6年も前のことだ。ほとんど女子ばかりの高校に進学し完全に恋愛から離れてしまった、ということにしていた。
もちろん環境のこともあったと思うけれど、最後に好きになった人のことを忘れられなかったのが大きい。一途とかそういう綺麗なものではない。あの人は特別過ぎた。特別が重なりすぎて歪んだ形に美化されてしまった。
それが最近やっと少しずつ気持ちが解けていって、消えかけていたところだった。今ならきっと新しい恋に踏み出せるかも、と期待していた。ただ恋がしたかった。好きな人がほしかった。だからこそ、人生に恋愛がいらないという思考に至ったのが信じられなかった。
1回会っただけで判断してしまうのか、とか、まだアプリを続ければ気の合う人と出会えて恋愛できるかもしれない、とか、色んなことを考えた。
考えて、考えて、考えて、行き着いたのは、人生に満足しているからこれ以上は何もいらないという結論だった。


大好きな友達がいて推しがいて少ないながらもお金があってTwitterにみんながいて好きな言葉に囲まれてって、いいじゃん。何もいらないじゃん、今周りにいる大好きな人を大切にし続ければいいじゃん。無理に作らなくていいじゃん。自分のために生きて、自分の大好きな人のために生きればいいじゃん。



衝撃だった。まだ地元を離れて一人暮らしをする夢も叶えていない、東京にも因島にも行っていない、できていないことはたくさんある。そして何より、わたしは人生に満足することはないと思っていた。
風船にひとつひとつ空気をいれていく。どんなにたくさんの風船を膨らませても、知らない間に膨らませたい風船が増えている。増え続ける風船を膨らませ続けて生きる、終わりのないタイプだと思っていた。
膨らませたい風船がなくなったわけではないと思う。そこはまだ自分でもあまりよくわかっていない。
無意識領域の中に満足が眠っていたことも驚きだった。生活が身体と心にちゃんと馴染み始めて、抱え込んでいた後悔と不満が減ってきたな〜とは思っていたけれど、今日まで全く気が付かなかった。


人生が完結してしまった。18で。
今だけかもしれない。けれど少なくとも今のわたしは、人生に満足していて、恋愛は必要なくて、大好きな人たちと一緒にいることができればそれでいいと思っている。加筆修正する理由はどこにもない。
ただ思ったのは、人生に満足しているイコール幸せではないんだなということ。わたしだけかもしれないけれど。
今のわたしは不幸でも幸せでもないし、今いる場所は天国でも地獄でもない。なんだか不思議だ。


まだあまりちゃんと整理できていないし、また考えが変わるかもしれないけれど、今はこのまま過ごそうかなって思ってます。大好きな人達を大切にして、これからもずっと隣にいれるように生きていたい。

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