19歳がいちばん魅力的な話

19歳になった。
10代最後の歳。紆余曲折あった長い長い10代もあと一年で終わる。
本当に色々なことがあった。出会いも別れも、好きも嫌いも、希望と絶望も。見えない何かに翻弄されたこと、自分の選択を心から正解だと思えたこと、自分に失望しひたすら嘆いて泣いたこと。
わたしは、19歳がいちばん魅力的な年齢だと思っている。高校1年生の時に「ヒメゴト 〜十九歳の制服〜」という漫画を読んでから、10代の終わりというものを意識するようになった。周囲から男っぽく見られがちなことに悩み、一人の時は唯一女の子でいられる服―制服を着て、密やかな儀式を行う由樹。一見清楚で天然な美少女だが、夜になると真っ黒なセーラー服に身を包み15歳として身体を売る未果子。中性的な美貌を持っており学校の人気者だが、女装癖があり憧れの未果子と同じ格好をしてひっそり楽しんでいる佳人。秘密を抱える3人の19歳が複雑に交わりあい、思惑を織り交ぜ繰り広げる「ヨクボウ」と「セイフク」の物語だ。
漫画サイトの試し読みで読んでいたため、当時はせいぜい3巻くらいしか読めなかったが、1巻目から性描写が多く、セックスすらよくわかっていなかったような15歳には刺激が強かった。なのに読む手を止めることができず、あっという間に無料分を全て読み終えてしまった。性的コンテンツに触れる背徳感に酔っていたのではなく、純粋にストーリーに惹かれた。
歪で、狂ってて、理解に苦しむ場面もたくさんあって、なのにどこか眩しくて美しい。綺麗な箇所なんてそんなになかったのに、10代の終わりはなんて儚くて綺麗なんだろうと思った。これが「19歳」なのだと、漠然としていた10代の終わりの輪郭に触れた気がした。
もちろん続きは気になったが、ハードな性描写のある本を買うのに抵抗があり、結局何年も続きが読めないまま、気がつくと漫画の存在ごと忘れてしまっていた。


思い出したのは高校を卒業してから。誕生日こそ遅いが学年的には19歳、昔読んだあの漫画の登場人物と同じ年齢だと気づいた途端、無性に続きが読みたくて読みたくてたまらなくなった。ネットショッピングも解禁されていたため、家族にバレずに買うのは何ら難しいことではなかった。
ワクワクしながら漫画を開く。初めて読んだ時から約3年半の月日が経過していた。
登場人物達はあの時のわたしが思っていたよりも狡くて、人間的だった。自分の理想やこうであってほしい姿を互いに押し付けあって、時には卑怯なこともして、間違っているとわかっていても引き返せなくて、藻掻いて足掻いて、それぞれの制服を纏い夜を彷徨う。
自分や周囲の人間がかけ続けてしまった深い深い呪い。最終的に彼女たちは呪いを断ち切り新たな人生を歩み始める。捨てたわけじゃない、忘れたわけでもない、断ち切ったのだ。
とても一言では表現できないけれど、大人になる前に読むことが出来て本当に良かったと思う。


だから、わたしも断ち切る。断ち切って全て終わりにする。
もう大人になるしかないのなら、なってしまうのなら、少女のままでいられないのなら、呪いを全部全部解いて、それから大人になってやる。絶対に全て終わらせてやる。
勘違いするな、わたしはわたしのために全部終わらせるんだ。怒りを怒りのまま残しておけばいずれ呪いになってしまう。呪いは呪いを呼び「わたしは悲しいことを抱えて生きているんだ、可哀想なんだ」と思い込むことでさらに負のループに陥ってしまう。こんなの絶対に幸せになれない、なれるわけがない。
そして今のわたしは決して不幸なんかじゃない。
許すなんて言葉は使わない。けれどもう終わりにしよう。
全てにきちんとピリオドをつけられるような、有終の美を飾れるような、そんな素敵な一年にしたいと思ってます。19歳のわたしもよろしくね。








ここまでが、10月に書いた分。
わたしのnoteなりツイートなりを追ってくれている人達は少なからずこの内容に違和感を覚えたと思う。その段階、もうクリアしたんじゃ?と。
そう、今のわたしは呪いも解けたし過去に依存してないし何よりももうこれ以上何もいらないと感じるほどに幸せで満たされている。
あれで完成していたため、あとは誕生日の日に投げればいいやと思っていたけれど、10月からの数ヶ月で自分の考えがかなり変化したためそうもいかなくなった。消したくなかったのであえて残したままにしたけれど。

ここからは、2023年1月のわたし。
どうしようかな、まずは18歳を振り返ってみようか。
18歳はかなり変化の大きい一年だった。環境もそうだし心境もそう。失ったものもあって、取り戻したものもあって、新たに得られたものもある。

高校卒業直後は燃え尽き症候群のようになっていた。人生の目標だったり、生きる理由を高校生活に詰め込みすぎたせいで空っぽになってしまった。こんなはずじゃないのに、こんなはずじゃなかったのにと、絶望と後悔に心を蝕まれていた。

当時のツイート

春ごろに書いたnoteはどれもびっくりするくらい病んでいる。後悔と嫉妬と言い訳を必死に並べていて読んでて嫌になるくらい醜い。
夏になると危機意識を持ち始め、とにかく残りわずかしかない10代を楽しもうとあれこれ試行錯誤して楽しい予定を詰め込んだ。どれも本当に楽しかったし幸せな時間だった。それは嘘偽りない気持ちなのだけれど、同時に幸せの終わりというものを強く意識してしまい却って苦しくなることもあった。
でも無駄なんかじゃない。全部今に繋がってる。
秋になり、ようやく現実との折り合いをつけるのがうまくなってきた。生活が身体と心に馴染みつつあった。
以前、『生活に慣れるのが怖い。日常だったものが過去になって、非日常が徐々に「わたしの新しい生活」になっていくのが怖い』というような文章を書いたのだけれど、この時のわたしが恐れていたことは何も起こらなかった。心は柔らかいままだし、無感動な人間にもなっていない。
確かに、慣れたくないものに慣れていくというのは心のどこかに負荷を与えて無理を強いているのかもしれない。けれど、無理やり慣れていくことと、折り合いをつけることは違う。折り合いをつけるというのは、自分なりに気持ちの収まりどころを見つけられることだから。
けれどそれを全く意識することなく日々を過ごしていた。気づいたのはデートの時(『ロマンティックなリアリスト』参照)だ。恋愛する気満々だったのに心はそれほど恋愛を求めていなかったというまさかの気づきに戸惑ったけれど、満足できているならひとまず現状維持かな、と受け入れは早かった。
けれど、何かが足りない。何かが違う、満たされてるのに幸せじゃない。これだ!と言えるような決定的な何かがなかった。
それが明確になったのは冬、ずっとずっと会いたかった人たちのライブに行った時。
気付かぬうちに色々なものを抱えてしまっていた。どうにもならないからと諦め、いつしか重さにも慣れてしまい、重い荷物を抱えていることすら忘れていた。
石化していた心が解された。背中が軽くなって、ピンと背筋を伸ばして前を向けるようになった。またしても彼らは、わたしのことを救ってくれた。



あと何書こう…………。18歳で学んだこと。思想の変化もかなり大きかったから残しておけるものは覚えているうちに書いておきたい。主にふたつだけど。
まず、好きな人たちとの関係はお互いにお互いを大切にしないと続かないこと。当然っちゃ当然だけど関係性を保つ努力って必要で「友達」とか「恋人」って肩書きや名前に甘えちゃいけないって思った。一緒にいられるのは当たり前じゃない。
もうひとつ、苦しかったことはちゃんと覚えておくべきだと思った。もちろん無理に思い出すことはないし忘れた方がいい事もあるけれど、わたしは覚えておきたい。忘れたくない。
傷つけたことや傷つけられたことを美談にはしないし、させない。
苦しかった時に救ってくれた人たちや言葉、音楽や物語を忘れたくない。

優しさに ぬくもりに 救われて歩き始めた
誰かへ同じように 返したい 忘れたくない

そして、最後には許せるようになりたい。相手のためじゃなくて、自分のために。呪いなんてない方がいいから。思い出は思い出のままでいいし、過去はきちんと過去にすべき。簡単なことじゃないし、聖人にはなれないけど、でもいつか真っ新になりたい。なれたらいいな。
長くて暗いトンネルからようやく抜け出せた気がする。


いまね、生きるのがすごく楽しいです。すごく幸せ。
これから自分に何ができるんだろう?ってワクワクしてる。
やりたい事いっぱい見つけて全部叶えたい。
10年後とか全く想像できないけど、遠い未来なんて考えなくていい。とにかく今を楽しんでいたい。
わたしの人生、もっともっと楽しくしたい。楽しいことをいっぱいしたい。
愛してるよ、相変わらずの日々だけど。


19歳になりました。これからもよろしくね。


2023年1月13日  未明






20歳までにやることリスト
・因島旅行に行く
・ライブに行く
・いっぱい文章を書く
・ホールケーキを一人で食べる
・10代卒論を書く
・縁切り神社行く
・手紙を書く
・会いたい人達に会いに行く
・死ぬまでにやりたいことを100個考える

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