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冬の捕らえ方

明確な「秋」というものを目視することが出来ないまま、気がつくともう冬の足音がこだましている。紅葉なんてものを見る前に、乾いた葉が宙を舞い始め、気がつくと街の雑踏を少しだけ騒がしくしているのだ。

目で視られる冬は多い。気がつくとおでんの屋台がちらほら出てきたり、クリスマスケーキの販売を知らせるのぼり、忘年会や新年会歓迎の居酒屋...。冬を知らせる、というよりは「1年の終わりを告げるもの」だな。だから冬は切ないし寂しい。
広瀬香美でもあるまいし、冬に特別な思い入れはない。ただただ寒いし、布団から出るのが億劫になり、何にもいいことがない。女の子も厚着になっちゃって、でも防寒具に身を包む女の子もまた可愛い季節。
そんな私の生気のない目に木枯らしが吹き付ける。思わず「寒い」と呟く、誰も聞いてない。右ポケットにお招きする人もいない。やはり冬は肌で感じるものだ。

夏と対照的な存在であり、加えて寒いという理由だけで「別れの季節」にされてしまう冬さんの不遇さといったらない。私が冬ならキレて木枯らしならぬブリザードを吹かせる。木枯らしに抱かれてなどと言ってる場合ではない、災害である。

別れの季節とはいうが、冬に何らかのモノと別れたことがないのでイマイチ分からない。確かに年末年始は何かとお金が飛ぶし財布も文字通り冬が到来する。そういうお別れ?

冬はむしろ出会うもののほうが多いんじゃないか。可愛い服にオシャレなアクセサリーとか。何かと身につけるものを買う機会が増える。装いが彩りを増していくと、季節感という言葉があるように冬を感じる。

視覚でもなく、嗅覚でもなく、聴覚でもなく、単純な寒さでもなく、四季の装いをしたときに感じる季節感が好きだ。特に、冬は。

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