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中国人の若者に今伝えたいこと -16

中国人の学生向けに話す機会があり、その時ように作ったものです。

こんにちははじめまして。私は今年41歳になる日本人です。 研究者を目指して大学院の博士課程を卒業し、しばらく研究者をしていましたが、今は自分の分野に関わる会社でマーケティングの仕事をしています。 専門はニューロサイエンスです。

41歳と言うと、生まれた年は1978年になります。トークのタイトルになっている言葉には2つの意味があって、1つは私が今40で 20歳そこそこの皆さんより20年長く生きていると言う意味で未来を生きているという意味。もう一つは私はざっくり言えば1980年代の日本で物心がついて育った人間なわけですが、当時の日本の取り巻かれている状況と、今中国がまさに直面している状況は非常に似ていると感じています。つまり言いたい事は日本人が40年前から経験してきたことをこれから中国においても同じように起こってくると考えられるのです。ですので私はある意味20年後から来た、あなた達と同じ環境で同じような感性を持って生活してきた人間として、これから先20年どのようにして生きていけばいいか、そのヒント与えられればというふうに思っています。

まずどんな点が今の中国と40年前の日本が似ていると言えるのでしょうか。一言で言えば生活実感というものに尽きるのですが、そこを説明するために私がどんな生活環境で生きてきたかということを簡単に皆様にシェアしたいと思います。

私の父は自動車会社のエンジニアで田舎の高校卒業後入社して、一生懸命仕事をしてエンジニアとしての地位を手に入れました。都市郊外に一軒家を買って僕は生活環境上何不自由のないような生活をして暮らしてきました。両親から特別に何かを買ってもらったと言う記憶はなかったけれど、近くに祖父母が住んでいて、正直僕が欲しいと思うものはすぐにではないにしろ、何かのタイミングで必ず買ってもらえるような環境でした。両親は貧乏だ節約だなんてことをよく口にしていましたが、内実お金の使い道に困るような状況で、ひたすら貯金通帳にお金がたまるか、母親か着もしない服をたくさん家に蓄えるそんな状況でした。

つまり一言で言うと、僕は生まれてこの方貧しさと言うもの全く直面しませんでした。僕の家庭だけではなかったです。ほとんどの真ん中くらいの日本人の家庭は概ねこんな状況でした。
今の中国の人が日本に対して思っていることで、実は気づけていないかもしれないな、と思うことが2つあります。1つは日本は昔、少なくとも僕の親の世代くらいはとても貧しい国であったと言う事、そして80年代にはアメリカのGDPを超えるのではないか、と言われるくらい経済に勢いがあったと言うことです。

経済状況の事はさておき、こういった満ち足りた環境がその状況にいる子供たちにどんな感情もたらすでしょうか。

ちなみに僕の年齢の10くらい上の人たちのことを日本ではバブル世代なんて呼び方をします。バブルと言う言葉は泡のようにお金が湧いてくる様を言って、お金に満ち足りた世代だと言うことがここでは言いたいわけです。つまり日本の経済が絶好調な80年代に学生でアルバイトを始め、会社員になりその中で消費生活を送ってきた人々のことをバブル世代と言います。物質主義に満たされた世代の代表としてこの年代のことを今でも日本人は表現の1つとして使います。けれど実はこの人たちは僕が生まれる10年以上前に生まれた人たちで、つまりまだ1970年代の日本で育ち、その頃は日本では貧しいところもあって、ある人々は自分自身も小さい頃は欲しいもの十分に買ってもらえず、あるいは日々食べるおやつでさえも十分に自分の思うようにならなかった世代でもあるのです。

そんな彼らだからこそ所有することには一定の価値があり、人よりもより高いものを持ち、人よりより良いものを消費して、そういうことにお金を使うことに価値を感じていました。実はこれらの年代の人は今私たちがそのひとたちと関わってもその根本的な感性は今でも変わっていないように感じます。

ところが、はっきり言いますと私たちの世代になると、こういった物質的な消費傾向は見られなくなります。なぜならあの人が持っていて自分が持っていないということが全くなく、誰しもが欲しい物を自分の手にできる世界で生活してきたからです。だから物の所有とかお金の所有に対して人と比べる必要がもうないのです。

これは富と言う意味では素晴らしい進歩です。私たちは自分の親の世代が欲しいと思っていたものをまさに自分の子達に与えることができた最初の世代と言えるかもしれません。

ではそうして物質的に満たされた僕たちの世代が過去の人と比べて十分に幸せになったのでしょうか。実はこれはそんなに簡単なことでは無いのです。

僕らは人と比べるわかりやすい物差しを持つことができない状態で育ってしまいました。つまりがんばっても、がんばらなくても欲しいものが十分に手に入ってしまう状況なわけです。喉が乾いている時の水は確かにおいしいですが、お腹がいっぱいになったときに食べるご飯はおいしいと思うでしょうか。

ご飯が目の前になければ、それを探し求めて世界を旅することができます。けれど我々の世代は手の届くところにそういったものが全て転がっていたのです。

僕たちは一体何を目標にしたら良いのでしょうか? まさに不幸なことに不幸なことがなかったのです。子供だったのでその当時ここまで深刻な事態を考える事はなかったですが、我々の根底に流れる気持ちはそこにあります。

つまり私が言いたいのは目の前に座っているあなたたちも全く同じような気持ちなのではないかということです。

僕らの世代で起こったことを整理していきます。

学生からは根本的に向上心と言うものが失われてしまいました。何かを努力して手に入れると言うより、ただうまく立ち振る舞って自分の立場が少しでも上に行くようにという相対的な努力に変わりました。調和をする事がより強く意識されるようになりました。10年くらい前の日本で流行った言葉に、「空気読めない」 という否定語がありました。自分たちがルールの中から出ないから、他の奴らもそこから出るんじゃないと言う無言の了解が確立していきました。この画像をご覧ください。この30年間で世の中はこんな風に変わりました。そして何よりも個々人の生きる目標が見失われてしまいました 。

僕らの世代に起こった社会問題として代表的なものとしてニートと言う存在があります
。このひとたちは学校で学習することもなく、アルバイトや何かの仕事に就くこともなく、家でゲームをしたり過ごして親に養ってもらっている状況の人たちのことを言います。こんなのは青春時代の一時期の気持ちの迷いから生まれるのだろうと誰もが楽観していました。しかし、実に20年経ってその人たちはほとんど数を減らさないまま、ただ40歳になって問題はより深刻になりました。

なぜこんなことになってしまったのでしょうか? 1つは我々の世代は根本的に困難に立ち向かったことがない、とても弱い世代だったと言うことです。困難にぶつかって失望することも、それを乗り越える経験もないのです。賢明な親になるほどに、子供の困難をできるだけ除いて、より失敗をしないように導いていきます。その結果より困難を乗り越える力を醸成することができない状況になりました。

そして実はこの問題は別に日本に限ったことではなく、世界のどんな豊かな国でも、あるいは歴史上のどんな豊かな国ものり越えることができていない問題なのです。

だから貧しかった頃の人が意欲的に生きているからといって我々の抱えている問題よりも高度な問題を解決していると言うわけではけしてないのです。

人は誰もが自分は何のために生きるのか、その問題から最終的には目を背けることができないのです。そして私たちとそれから今目の前にいるあなたたちはそれにその国の人民として初めて直面した世代なのです。

自分のことをもう少し話そうと思います。僕は幸運なことに、学校の勉強はわりにできるタイプの人間でした。中学校ぐらいから成績が上がりだすのですが、その原動力になったのは単に自分の祖父母が学校のテストで良い成績を取るとお小遣いをくれると言う位のきっかけで勉強しただけです。

結果超一流と言うわけでは無いですが近所ではなかなかの進学校の高校に入学しました。そこではたと目標を見失うわけです。学校のテストで点を取ることに意義や目標を見出せなくなってしまったのです。自分の目標は漠然としていて、高校1年生の頃はなんとなく京都大学にいければいいと思っていて、祖父母にもそんな話をしていました。しかし学年が進むにつれ成績も特に伸びず、変わらなかったわけです。

ある時学校の担任から君の将来の夢を書けという作文課題が与えられたことがありました。僕は社会が実は得意な人間だったので、金融に関わるような仕事をしたいと当時は思っていました。

そこで自分がその当時まさに感じたままに自分の将来設計について作文にしました。
つまりなんとなく勉強を修めて、なんとなく人よりは少し良い大学に入って、人より少し良い金融系の仕事について、お金を右から左に流すだけで、自分は十分な生活の糧にする。そんな内容作文に書きました。

実はこの作文について後で担任からはひどく怒られたのです。

私は私むしろ何故怒られるのかと驚いてしまったような感覚でした。注意されたから、そんな不真面目ではいけないと言うふうにも考えたのですが、後で考えると担任が本当に怒ったのは、これは人間の心理として常に起こる事ですが、否定のしようのないような正しい真実であるということで且つそれはしかし道徳的には批判されるような対象であった、ということがより強い怒りになったのかと思いました。

つまりその時の僕が抱えていた価値観は、バブル時代のまさにその人たちの正直な感覚そのもので、学校の先生と言うある意味恵まれない仕事をしていた若い先生には、全く共感できないような内容だったと言うことなのかもしれません。 因みに後の同窓会であったときに、クラス一番の人気者だった男は慶応大を出て、大手銀行に勤めたみたいでした。

そのままいけば僕も例にもれずニートになっていたのかもしれません。しかし僕には有難いことに困難なことがありました。
それは学校のクラスで全くクラスメイトに馴染めていなかったのです。行き場のなかった僕は休み時間になるとあるきっかけから学校の図書館に入り浸るようになりました。

子供の頃母親に歴史の本を読み聞かせられて、それで歴史が好きになり本にも興味がありました。勉強ができるタイプの子の1つの美点として、なんとなく本を読んで勉強しなければいけないと言うふうな義務感も持っていました。

そこで図書館の司書さんに話を聞きながらお勧めだと言う本をいろいろ読んでいきました。正直その当時の僕の文章理解力では十分に内容理解できないような本ばかりでした。ただし何か情報を探し出そうと言う努力はしていたのです。

図書館には僕と同じように自分の居場所を求めて毎日のように図書館に顔出す人がいました。そういうグループのようなものが各学年居て、OB, OGのような人もいたわけです。

僕の人生において大きな出会いはこの中にありました。ある時2年前に高校を卒業した先輩が図書館を訪ねて来ました。その人は北海道大学の水産学部で勉強していると言う話だったのですが、その人からは「自分が勉強したいと思うことを学ぶんだよ」と言う事だけ言われました。

もう間近に高校3年生が迫るような時期でした。じゃあ自分は一体大学でどんなことを勉強したいのか考えるようになりました。結局その答えは図書館の本の中で興味を持ったものの中にありました。河合隼雄と言う日本でユング心理学を広めた第一人者で、つまりうつ病とか精神的にトラブルを抱える人をカウンセリングで治療するということを行っている有名な先生の本に興味を持ったのです。

僕はそれで大学で教育心理学を勉強したいと思うようになりました。実際に受験勉強を本当に本格的に始めたのは3年生になってからでした。さらに本当に本当に受験勉強したと感じられるほど勉強に集中したのはセンター試験までの6カ月間だけだったように思います。その時は今まで自分の生活時間のほとんどを占めていたテレビゲームをやることをやめ、土日ごとに一緒に遊んでいた小学校時代からの友達との集まりにも参加せず、ただひたすら家で机に向かって勉強していました。大体下からクラス40人の5番目位の成績だった自分は、最終的にセンター試験の成果でもクラスのトップテン位で かなり高得点と余裕を持って志望校に合格することができました。

大学入学後もこの心理学というのをキーワードに自分の関心や興味を深めていきました。大学の同級生のほとんどはこうした意識を全く持ってないような人たちでしたが、自分がこうした興味を持っていると言って共感しあい、つながった友達たちは学内学外を超え今でもなお関係が続いています。中にはアメリカや日本の有名な大学で大学の教員を務めている人間もいます。

僕自身は興味を深めるうちに大学院時代はむしろ生物学に関わるような領域を勉強したのですが、いろいろ難しいこともありましたが結局は今はこの専門を生かした仕事で、人並み以上に良い給料もらえる可能性を持つ生活ができています。

しかしその生活がどうと言う事より、より自分を幸せにしている事は、僕自身は今でも神経とか脳とか心とかそういった研究に関心を持ち続けていて、それに関わる論文を常にチェックして、新しい情報の収集に努めていることです。 時代も自分の興味に歩調合わせてきて、今しきりに強調されるコンピュータ技術、特に人工知能と呼ばれるような技術の進歩は自分の関心の大元の精神疾患の治療を可能にするような技術につながるであろうと言う大きな興奮いま感じています。そして今の自分の目標はこれらの技術を組み合わせて、いつか精神疾患の治療を実現できるような研究開発ビジネスを行いたいと思っていることです。

大学を卒業してすぐ就職して、40歳になるまで働いていた人間は僕と違って大きな経済的な貯蓄を持っているでしょうし、会社での地位も安定していて、このまま年老い終えるまで生きていけるのかもしれません。

私は他人の心はわかりませんからその人の幸福度を図る事はできませんが、少なくとも自分の中で、未来の希望とか進歩とか前進とかそういった成長の継続と言うようなことを実感しながら、もっと言えば具体的に次はこうしてみたいと言う気持ちを持って40歳迎えられている人はほとんどいないのではないかという風に思います。

実際にトヨタのような大企業でも 私の同級生の中にはおそらくそういった企業に就職した人もいるかもしれませんが ではこれから20年後トヨタか今までのままでいれると信じられている人はトヨタの社員の中ですらほとんどいないのではないでしょうか。その人たちは何とかうまくやっていっていけるのかもしれませんが、成長や転換や進歩と言うことを意識せずに積み上げてきたとすればその先はただ世の中の流れに流されるだけだと言うふうに思えてなりません。因みに今大手金融機関もフィンテックなどの新しい脅威があり、大規模なリストラを行なっているところです。

今こうして1つの話しを聞いても、この中にいる人々の中でも感じ方は様々なんだと思います。

おそらく2割位の人は、良い情報が得られた。これをうまく使って自分がもっとうまくいくように利用してやろう、と思っているかもしれません。そう思う人はそのまま頑張っていけばいいと思います。

7割位の人は はあなるほどそんなこともあるのかね と言う感じなのではないかと思います。でも今日聞いたような事はおそらくこれからあなたたちの人生の中で、高い確率で目の当たりにする事になる事柄だと僕は思っています。 心の片隅に置いておいて、それが自分にとって有効な情報として、ある決断をするときに利用できる視点になるとすればその時に活用してくれればいいと思います。

残りの1割の人は本当にそうなんだよと感じている人で、だから自分はどうしたらいいのか全くわからないんだ と今まさに悩んでいるところなのではと思います。 そうした人には私は、そのわからないんだ、どうしたらいいかと言う悩みの気持ちを大切にして自分で考え抜き続けて欲しいと思うのです。 その答えは私が教えることもできませんし、どんな他人が教えることも多分できないことだと思います。しかしいろんなものに触れ、自分の中で納得できる答えがでたら、その気持ちのままに何かを始めればいいとおもうのです。 そうした人ほどこれからやってくるであろう本当に困難な時代に打ち勝っていける人になっていくんだろうと僕は思っています。

孔子は40歳を不惑と表現していました。
今自分で10代や20代の頃のことを振り返ると 実にさまざまなことを悩んでいた気がします。後から振り返ると、それらは全く的外れのようでもあり、しかしある部分では悩みは正しいことのように思います。

つまり自分に対して感じるネガティブな感情はほとんどの場合は的外れで、自分がポジティブに感じていることは、それがたとえ人から今評価されていなかったとしても、自信を持っていることなら後から振り返ってもそれはやはりポジティブなのです。

そういった自己肯定感に40になる位の時自分は到達しつつあるように感じ始めました。これは自分のそれ以上の成長への諦めと言う意味なのかもしれませんが、しかし落ち着いて自分の置かれている状況や自分の長所短所を冷静に判断できるようになったと言うことなのだろうと思っています。それをして孔子は不惑と言ったのかもしれません。自分が本当に力を発揮するのはこれからなのだと言うふうに強く思っているところです。

今皆さんが直面している10代、20代は、不惑の時を迎える40代のための準備期間なのだと思います。自分が思ったことを、自分が好きな事を大事にして、自分を信じて生きていてくれればと思います。

ありがとうございました。

中国人の若者だけでなく、日本人の若者の心にも届けばと。


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