誰かに捧ぐ

ちょっと久しぶりに書いてみたくなった。

女の人の化粧はとても面白い事例だと思って自分でも色々な表現をしてる。男が無尽蔵のお金を費やす源は、文字通り皮一枚すらない表層の飾りなのだ。

そして何よりも驚きを禁じ得ないのは、そんな状況に世の中の大多数の女性が平然と順応していることだ。女性はある年齢になれば、大きな覚悟を決める。
「これから少なくとも外の人間と接する時には、偽りの自分の姿を他人に仮定させ、それを前提に」付き合うのだ。女の人の精神が男よりも早熟だというのは生物学的なだけじゃなく、こんな部分もあるのではないかと思う。

それに比べて、村上春樹が書くウソの世界はずっとナィーブだ。私は全く本が読めない人間だったので、20代の頃あれだけ繰り返し読んだ「風の歌を聴け」の意味を理解していなかった。今ならわかる。あれは嘘つきのストーリーなのだと。いや村上春樹の都会的とされるものの正体はその空虚さがモチーフになっていると思える。でも女性からすれば、そんなことはある年頃以降の常識だ。悩むことすらないと。

学者肌ながら様々な社会経験をし、ようやく会社らしい会社というところで働きようやくわかったことだが、いわゆる仕事もそれに類するものだと理解できた。仕事も「いかにつまらない仕事を、いかに重々しくやるかの演技」にしかすぎない。エッセンシャルワークの人はこれに当たらない。しかし、輝かしい、高級だと高給だとされる仕事はほぼこれだと思う=自分は経験ないことだから断言できないが。言わんとすることは、大きなものを動かせれば動かせるほど自分の想いではどうにもならないことになる。そうなれば役を演じているに過ぎない。宰相だ王様だと言ったって同じことだと思う。世の中の本当の支配者はもっと他にいる。

ポルノ女優の話をする。個人的に客観的に考えれば不幸せであったろう人が、心動かすものであることはなぜあるか。おそらく世の中のどんな女性よりも、世界のどんな人よりも、セックスを冷静に見つめているように思える。
ということは100%嘘だ。けれど、そういう人ほど同時に虚空を求めていると思える。
決して満たされないけれど、その理想の何かを心から求めている。だからこそ、そこに真実を感じ、我々は彼女たちの感覚に錯覚するに違いないと思う。

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