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アンコールワット-ホーチミン〜自分の足で歩いてみるということ

「どっかあったかいところでゆっくりのんびりしようよ。」
妹から旅の誘いがあったのは3月の末。


旅立ちの理由

息子(私の甥)の大学受験が終わりほっとしたのと合わせて、彼女は今の職場を辞めることを決心したらしい。
姉の私から見ても、妹は自分のキャリアを努力と実力で築いてきたひとだ。
ここにも「ガラスの天井」があったのか、と切なくなる。

とはいえ、決心したからにはぐずぐずしててはもったいない。
今までとれなかった休みをごっそり取って、英気を養いたいから、お姉ちゃん付き合ってよ!との誘いに、盛り上がる。

バリかな?ヨーロッパもいいよね。地中海にしようか?そうは言ってもやっぱハワイかなー?
バブル期に青春を過ごしたアラフィフ姉妹の妄想は広がる・・・
が、現実として夏でも春でもない中途半端な時期に長期の休みをとるのは難しい。
そして、もともと欲張りで勤勉な性格の私たち。ただのんびりしてられるわけもなく、結果として、4泊5日のアジア弾丸旅行が決定!

やかましくて可愛くて美味しい街、ホーチミン

カンボジアもベトナムも訪れるのは初めて。
アンコール遺跡のあるシェムリアップとホーチミンは、飛行機で1時間程度の距離だが、印象はかなり異なる。
簡単にいうと、のんびり田舎のシェムリアップとイケイケどんどん都会なホーチミン。旅程が、先にシェムリアップでその後ホーチミン滞在だったので、余計にそう思ったのかもしれないが。

とにかく、ベトナム・ホーチミンは一言で言うと「喧騒」の街だった。
サイゴン川沿いのレトロなホテルに宿泊したが、朝から晩まで車やバイクの往来が途切れることがなかった。

ホテルマジェスティックからサイゴン川を臨む

楽しみにしていたベトナム料理はどれも美味しかった。
もっと素朴なものを想像していたが、観光地なのと海外資本の参入が著しいからか、どの店もおしゃれな内装でメニューも都会的でびっくりした。
簡単な英語なら誰でも話せるのに関心した。
円が弱くなって海外旅行は以前ほど楽しめない、という話をよく聞くけれど、今回の旅ではそんなことを感じることもなかった。
ただ、ベトナムらしいキッチュな雑貨を買いたいと、渡航前に調べていたお店がことごとくなくなっていたのは少しショックだった。
コロナの影響は大きかったんだな、と推測する。

ベトナムは最初から、食べて飲んで、スパに行って買い物するだけの予定だったので、特に観光はしなかった。
唯一訪れたのは、「統一会堂」。
ガイドブックで見て、なんだろう?と思ったが、旧南ベトナムの大統領官邸だ。
ベトナム戦争中は極秘の軍事施設として使われた建物で、今は歴史資料館として一般公開され、国賓を迎える行事などにも使われているらしい。
思いつきで行ったけれど、自分の無知を改めて知る場所だった。
ベトナム戦争といえば、わたしにとっては割と最近の出来事で、よく知っているつもりでいた。しかしその知識は、あくまでもアメリカ側から発信されたもので、その発端も収束後のことも本当は何も知らなかったことに唖然とした。

ベトナムが「ベトナム社会主義共和国」であることと、ホーチミンの街中の喧騒や所狭しと並ぶレストランやお土産屋の賑やかさを見比べて、この国がとても複雑な構造であることを改めて知った。

悠久を感じる街、シェムリアップ

アンコール遺跡は憧れの場所だった。
特に遺跡が好きというわけではないが、映画の舞台にもなった石の建物と植物が融合する遺跡は、死ぬまでに一度は訪れたい場所の一つだった。

とはいえ何度も言うが、今回は弾丸旅行。憧れの場所だからといって時間をかけて回ることはできなかった。
なるべく欲張ってたくさん見るために、日の出から日の入りまで、アンコール・ワット、アンコール・トム、ベン・メリアの3箇所を回るツアーガイドを予約した。

朝4:30にホテルのロビーに迎えにきてくれたのは日本語ガイドのホンさん。どうやら、この日のツアーはわたしと妹の貸切りらしい。
朝から気温35度を記録するシェムリアップで、専属ドライバーが運転する新型のハイエースは快適すぎた。

まず向かったのは、ご存知アンコール・ワット。
ホテルのコンシェルジュもガイドさんも、アンコール・ワットは絶対に日の出がお勧めだと言う。

行ってみてその理由を知る。

クメール建築は参道の正面を東にするのが基本らしいが、なぜかアンコール・ワットは西を向いている。そのため、日の出前に参道の入り口でスタンバイしていると、巨大石造の塔の後ろが朝焼けに染まりゆらりと太陽が登ってくる。
かつての王やその家臣たちが象や馬に乗って渡ったであろう長い参道を歩きながらオレンジ色の太陽が登っていくのを眺めていると、この場所に流れた長い時間が今につながっていることの不思議を感じて目が眩みそうだった。

朝焼けに染まるアンコール・ワット

次に向かったアンコール・トムは、城塞都市だ。広大な敷地にいくつもの遺跡が点在する。
豊かな緑の木々と石造りの建造物の対比が美しい。
内戦や他国からの侵略を繰り返す中で、ヒンズー教と仏教が混在する王朝の遺跡は、そこかしこに神様や仏陀、神話の生き物や庶民の暮らしを表すレリーフがごちゃ混ぜに施されて賑やかだ。
そのくせ全てがきっちりとシンメトリーに配置され、神と崇められる王のための建造物だったんだなぁと感激する。

デヴァター(女神)やアプサラ(踊り子)のレリーフ

午後は少し足を伸ばしてベン・メリアへ。
ここは、「天空の城ラピュタ」のモデルになったとかそうではないとか。
真相はわからないけれど、人が造ったものが自然に呑み込まれそうに共存しているこの場所には、確かにロボット兵が眠っていそうだった。

石造の間から植物が芽吹く

アンコール遺跡は、1992年にユネスコの世界危機遺産に登録され、各国の支援を受けて復旧が進められた。2004年には遺跡の周辺の森や水田も含め世界文化遺産に登録され、修復が続けられている。

修復が進んでいる遺跡もあるが、瓦礫を積み重ねただけのものが目に付く。
お金と時間をかけても全てを元通りにすることはできないんだろうな、と思う。
何より考えさせられるのは、カンボジアは地震がない国だそう。
にもかかわらず、こんなにも大きく頑丈に作られた建造物が壊れているのは、内戦や世界大戦など人々の争いが原因だ。
崩れた石造物は長い歴史と時間を感じさせてくれるけれど、失われた命は印を残すことすら難しい。

日本語ガイド ホンさんの話

シェムリアップの気温は1日を通して下がることはなく、アップダウンの激しい石造の建物を歩き回るのは、予想はしていたがキツかった。
そんな遺跡巡りが楽しくて満足のいくものになったのは、ガイドのホンさんの功績が大きい。

ホンさんは、シェムリアップの農家の12人兄弟の長男だそうだ。
学校を出た後ホテルで働き、そこで会った日本人のお客さんが優しかったので日本語ガイドになりたいと思ったんだとか。働きながら日本語の勉強をし、今では日本語と英語でガイドの仕事をしている。
今でも農作業の手伝いもするそうで、植物や動物のことも詳しかった。
驚いたことに、ホンさんは日本へは行ったことがないと言う。

昔のカンボジアの人は、お坊さんにならないと勉強することができなかったとか。今は学校があり、何でも学ぶことができるので、自分はラッキーだとホンさんは言っていた。

カンボジアの田舎では、電気が通ったのもつい最近で、ご飯を炊くのはまだ薪を使っているような地域が多いそうだ。

今現在、わたしの常識では考えられない環境でも、自分を活かし人の役に立つために努力している人たちがいることにハッとした。

自分の足で歩いてみて思ったこと

わたしは、ずっと海外で暮らしてみたいと思っていた。
学生の頃、留学したいと親に頼んだが許してもらえなかった。
夫が外資の会社に転職した時、夢が叶うかと期待したが、そんなチャンスは巡ってこなかった。

今思えば、なぜ自分の力で飛び出してみようと思わなかったんだろう。
お金がないから。情報がないから。実力がないから。
いろんな理由はあったけど、とどのつまりは勇気がなかったんだろう。

何か大そうなことを学ぼうなんて思わずに、ただ知らないことを自分の目で見るために踏み出せばよかったな、と思う。その経験だけでも、わたしを充分に成長させてくれただろう。
いま、怖くて決心できない人がいたら、とにかく自分を信じて行ってみなよ、やってみなよと声をかけたいな。
無責任な言い方だけど、取り返しがつかないような悪いことは、そんなには起こらないから。

旅の豆知識メモ

今回の旅で役に立ったものを2つ書きとめておこう。

一つ目はちょっとお洒落なラッシュガード。
わたしは水着はビキニ派。
おばちゃんが何言ってんの⁈と思うなかれ。
気温も湿度も高い地域では、水着は速乾性の下着として重宝する。その上にラッシュガードを着れば街中でも平気だし、紫外線対策にも。何より、汗をかいてもちょっと洗って干しておけば、すぐに着られるので、荷物を増やさずにすむ。

そして2つ目は、grabアプリ。
これは、東南アジア版のUberで、このアプリを使うことで、タクシーの値段交渉というストレスから解放された。
これも新しい発見。


さあ、次はどこへ行こう。


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