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あの時代(とき)の自分に言いたいこと

毎週テーマを決めて、みんなでnoteを発信するキャリコンサロン編集部マガジンの日曜日担当荒巻です。
今回のお題は #学生時代の自分に言いたいこと
最後までお楽しみいただけたら幸いです。

学生時代の自分

わたしは名古屋で生まれ育った。
父は勤務医で母は専業主婦だった。2つ年下の妹がいる。
家族4人仲がよく、揉め事や大きな事件が起こることはなかった。
学校の成績も悪くはなく、友達にも恵まれ、特に劣等感を持つような要素もなかった。

中学受験をして女子校へ進学。中高の6年間をのんびりと過ごした。
大学の附属校だったが、そのままの生活をすることに不安と退屈を感じて、東京の大学に進学することを志望した。

特に学びたいことややりたいことがあったわけじゃない。

学校は東京のおしゃれエリアに位置し、周りの友人たちはみんな、洗練されて豊かだった。
時代、と言ってしまえばそれまでだが、自分も含めて、日々何かに困ることもなく、強い問題意識を持つこともなかった。

要するに、わたしの学生時代は終始さざなみのような穏やかなものだった。
なんて幸せ!
そして、なんて退屈で無目的。

4年生になり、社会人になることを考える時期になっても、そのふわふわした感じは変わらなかった。

毎日、学校へ行ったり友達と遊んだりデートしたり旅行したり。
楽しいけれど、お世辞にも充実した生活とは言い難かった。

もちろん、就活のために履歴書は作成したし、企業情報も集めたけれど、自分が社会で働く具体的なイメージは想像できなかった。

後悔先に立たず

今思うに、わたしには社会に出るためのいろんな経験が圧倒的に不足していた。
年上の人と話す機会もあまり無かったし、将来のことを相談するような先生もいなかった。そもそも、周りに「就職活動」というものをした人を知らなかった。
それに加えて、積極的に学校外の活動に加わることもしなかったし、留学をしたりインターンに応募することもなかった。バイトすら、あそび程度にしかしていなかった。

挑戦しなければ失敗することもない。

必要に迫られることがなかったと言ってしまえばそれまでだが、あまりにも問題意識がなさすぎて、自分という人間のどんな要素が社会の何に役立つのか考えたこともなかったし、10年後や20年後にどんな生活をしたいかも想像することすらなかった。

元来まじめな性格なので、与えられたことや求められたことは一生懸命取り組んだ。
一方で、自らと向き合い、何が一番で何を優先すべきなのかということを冷静に問いかけることの重要性には考えが及ばなかった。

その時練っておくべきだった将来の設計図を思い描く時間を取ることはなく、自分の未来は自分で切り開く、という当たり前の覚悟も持たずに卒業してしまった。

要するにこういうこと。

『この壺は満杯か?』

先日、調べ物をするついでに、ひろゆきの動画を見た。
「2ちゃんねる」を手掛けた人、ということぐらいしか彼のことは知らなかったのだが、先日デジタル庁の採用に応募していた、というニュースを見て興味を持った。

彼が動画の中で、「学生たちに何か喋れと言われたらこの話をしたい。」と言っていた話がある。
多分10年ほど前にも話題になったので、わたしも聞いたことがあった。
いかにもアメリカの大学の授業で行われていそうなドラマチックな話だ。
せっかくなので要約を紹介しよう。

「クイズの時間だ。」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
次に、彼はいくつかの大きな岩を取り出し、壺がいっぱいになるまで一つ一つ岩を詰めて、学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」
教室中の学生が「はい。」と答えた。
「本当に?」そう言いながら、彼は小石を取り出し、壺を振りながら隙間に小石を入れていく。
「この壺は満杯か?」
次に、砂を入れ、最後には水を注ぎながら、このやりとりが繰り返される。
そして最後に、「私が何を言いたいのかわかるだろうか?」と問いかける。
一人の学生が手を挙げて答える。
「どんなにスケジュールが厳しいときでも、最大限の努力をすれば、いつでも予定を詰め込むことは可能だということです。」
「それは違う。」教授は答える。
「重要なポイントはそこではないんだよ。
この例が私たちに示してくれる真実は、大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後2度とできないということなんだ。」
君たちの人生にとって「大きな岩」とは何だろう、と教授は続ける。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり、自分の夢であったり……。
「大きな岩」とは、人生にとって一番大切なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。
もし君たちが小さな石や砂、水など、自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、君たちの人生は重要ではない「何か」に満たされたものになるだろう。

最初にこの話を聞いた時には、後悔が押し寄せた。
学生時代にこんな考え方ができていたら、私の人生は少し変わっていたかもしれない、と思った。

壺の話を再考する〜後悔したって始まらない

とはいえ、久しぶりにこの話を聞いて、少しの違和感がある。

確かに、自分の人生の時間は有限で、大事なものを優先して入れていく必要があるのは間違いない。
しかし、先に小石や砂を入れてしまったら、本当に2度と大きな岩が入らないだろうか?

学生だったあの頃から30年余り経ち、図々しくなったのかしら?
頭の中には、壺に手を突っ込んで小石や砂を取り出し、代わりに大きな岩を入れようとする自分の姿を想像する。
そこら辺を水浸しにして、既に入っている小石や砂を取り出すのは大変な作業だろう。
もちろん、望んだ全ての大きな岩を壺の中に収めることはできないかもしれない。

でも、不可能ではないと思っている。

豊かな人生のために

もう一つ。
ひろゆき氏の引用は、わたしが聞いた話とは少し違っていた。

最後の部分、わたしの記憶では、教授は水ではなくコーヒーを注ぎ入れる。

一人の学生が質問する。
「先生、コーヒーは何を意味するのですか?」
教授は笑顔で答える。
「どんなに忙しい毎日を過ごしていたとしても、友達と一緒にコーヒーを飲む時間くらいはいつでも作れる、ということだよ。」

わたしは、こちらのエンディングを気に入っている。


#学生時代の自分に言いたいこと #人生 #大学生 #自分にとって大切なこと #キャリコンサロン編集部



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