福ちゃんと島ちゃんの故郷を訪ねる旅~請戸漁港・請戸小学校・慰霊碑③~

浪江町の請戸漁港へ行かせて貰いました。
見晴台にあがり周りを見渡すと震災前の街はなく爪痕が今もなお残っています。

(上)被災前の請戸

(下)現在の請戸

反対側を向くと漁港があります。漁船が何隻もあり思わず嬉しくなりました。東日本大震災の津波で被災し、東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示が2017年3月まで続いた請戸漁港。2018年1月に復活したそうです。

津波で被災した福島県浪江町の請戸小学校へも行かせて貰いました。福島県内初の震災遺構となるそうです。請戸小学校は海岸線から約200メートルに位置し、大震災で高さ15メートルの津波が押し寄せ校舎や体育館が被災したとのこと。児童93人と教職員19人は地震直後に近くの大平山に避難するなどして全員が無事であったとのこと。


その後、町営大平山霊園に建立された浪江町東日本大震災慰霊碑に皆で手を合わせに行かせて貰いました。

以下、慰霊碑碑文

平成二十三(西暦二〇一一)年三月十一日午後二時四十六分。福島・宮城・岩手を中心に最大震度七の地震が発生した。この地震により家屋は倒壊し、道路は寸断された。その約四十分後に浪江町沿岸に津波の第一波が到達した。第二波が襲来した後、さらに高さ十五mを超す大津波が町を襲った。住民にはこれまで大津波被災の記憶はなく、避難が遅れ大津波に驚愕し、請戸・中浜・両竹・南棚塩の集落は全てのみ込まれた。翌十二日には東京電力福島第一原子力発電所の事故により、国から避難指示が発令されたため、住民は避難を余儀なくされ、捜索や救命を断念せざるをえなかった。この地震と津波により、住民百八十二名の尊い命が失われた。私達は、災害は再び必ずやってくることを忘れてはならない。
 ここは太古の昔から人が住み、青い海と白い砂浜を眺望できる所である。この地に、犠牲者の御霊を慰めるとともに、先人が愛した豊穣の大地と海を慈しみ、浪江町の復興を願い、この碑を建立する。
 平成二十九年三月十一日 建立者 浪江町

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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