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充実感と絶望感の往復で成り立っている日常〜楽しい毎日な訳がない

久々に最近の思いを長い文章で書いてみる。
 Facebookの最近の投稿には「毎日だいたい楽しめるようになってきた」みたいに書いていたが、正直言うとそんなわけが無い。
そんなバカみたいに日常生活を送っているわけではない。
仕事が楽しいというのも、毎日ただただバカみたいに笑いながら何の苦労もなくやっているわけではない。

先週の木曜の夜からは最悪だった。
治療中の歯の痛みが痛み止めを飲んでも全く効かなくて、激痛が夜中続いた。仕事が詰まっている日だったのに、急遽金曜は仕事を休んで歯医者に行き、土曜日出勤の仕事も無理を言って変わってもらい(土曜は交代で出ている)、歯の痛みとメンタルの落ち込みで色々な事に不安が派生し、金曜夜は布団の中で泣いていた。
結局丸2日間は動けなく、今日からやっと動けるようになり、近所のカフェに行き、天井から流れるBGMと周りのお客さんの活気でやっと復活。音とコーヒーの香りと心地よい周りの声は、私の薬となる。今日の私の世界の美しい見え方と言ったら絶望を乗り越えた楽になった感じ。
感覚値の鋭さゆえに落ちも上がりも振れ幅が大きい。
来週、また歯のオペがあり、それが上手くいったら私のこの痛みも色々あったけど最終的に良かったねになるんだろう。

今回の件はかなり大きな振り幅だったけれど、私の日常は仕事も含めて同じようになっている気はする。
動いたり、行動したり、色々な関わりが複雑になる程、沢山の充実感や楽しみを感じる一方で、苦しみや絶望を味わっている。悩みも複雑化する中でどうにか日々を生きているが、その一方で何かが繋がった時の発見や、かけがえのない人や場所や物と過ごす時の喜びは大きい。
昔とだいぶ変わってきているのは、日々の事象が多いので、多くのことは過ぎ去るのが早いということだ。サイクルが早くなると味わう時間も濃いが時間的には短い。
気がついたら日々楽しいというのを細かく言うと上記のような感じなのです。

ただただ穏やかな日常が来ることが、私の生活にはあるのだろうか。
1年後は大して変わってないだろうから、5年後の自分に問いたい。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。いつでもまた立ち寄ってくださいね。