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変わり続ける世界で今何を思う

noteを最後に書いたのは今年の2月。ちょうどコロナの話題がニュースに出はじめたけれど、生活は特に変わっていなかった時。そして、私は看護師としての仕事は休んでいた時期。それから、色んなことがあり過ぎた。世界は変わり過ぎたし、自分も仕事がコロコロ変わったり。文章をFacebookに公開を制限して書くことでしか、もう発信したくなかった。

でも、久しぶりにまとまった文章を書いてみる。なんだか、そんな気分になったのだ。変わり続ける世界で今何を思うのか。

自分のことを言えば、数日前に測ったら体重がまた1kg増えた。確か最低体重だった時の5kgプラスだ。自分についていえば、それはいいことだ。太りたくても太れない、食べたくても食べれない。それが変化してきた。色んな無理が少しずつ外れてきているのだと思う。自然に呼吸出来るようになってきたと言ってもいい。
それが、いいも悪いもコロナのせいかわからない。
けれど、常識が常識じゃなくなると、自分の固定概念がだいぶ崩された。
看護師としての肩書で生きても生きなくてもいいし、何時間働いてもいいし、ご飯もいつ食べてもいいし、何食でもいい。誰かとずっと会わなくても、それが寂しい日常ではない。誰かと会うのも会わないのも個人の自由だ。どのような生活をするのかも個人の自由だ。
自分に制限をかけなくなると、自分を許せるようになったきて、他の人も許せるようになったきた気がする。色んなものがなくなるのが当たり前になると、何かがなくなることを自然に受け入れられるようになる。固執しなくなる。やりたいことを出来るようにする方法をただ考える。そして、後は自然に身を任せる。今は何かを諦めたようで、何も諦めていないような感覚だ。

最近は色んな経験をさせてもらっているし、色んな人と話すことも増えた。ホテルのスイートルームでルームサービスを食べることもあれば、ゴキブリがいる部屋に行くこともある。完全な防護服に身を包んで働くこともある。色んな経験をしながら思うのは、私の生まれ育ちは良過ぎもなく、悪過ぎもなく、でもだからこそ客観的に物事を見て、どちらも受け入れながら生きていけるんだなということだ。最近は人のアイデンティティ、人となりは生まれ育ちに本当に影響していると思う。どうあがいても、どんなに年月の中で変えようとしてもそれは変えられない部分があると思う。だからこそ、自分が日本の一般的中流家庭で平和に生まれ育ったものを大事にしていきたいなと思ったりしている。

これからどうしていきたいか、という遠い未来のことはなんだか今はまだ考えられない。なぜなら、遠い未来のことをいくら予測したり考えても、世界はその通りにはいかないという現実を目の当たりにしてしまっているからだ。ただ、目の前のことに一生懸命生きて、より肩の力を抜いて、自分として生まれたことを生かしながら、人の役に立っていきたいと今は思う。


最後まで読んでいただいてありがとうございます。いつでもまた立ち寄ってくださいね。