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好奇心・探究心が現実と調和してるとき、人は幸せを感じる

好奇心・探究心に衝き動かされるだけでは危うい。
現実に適応するだけでは生きた心地がしない。

夢か努力か、ロマンかソロバンか、理想か現実か、そういった二元論を脱構築しようとしたとき、現実を主体的に引き受けつつ自己を表現しようとしたとき、人は幸せを感じるのかもしれない。

子曰、知之者不如好之者、好之者不如楽之者(子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず)

孔子「論語」

好む者と楽しむ者の差分は「現実との調和」、「制約とのダンス」、「不自由を足場にした自由」ではないか。

哲学の動機は「驚き」ではなくして深い人生の悲哀でなければならない。

西田幾多郎「場所の自己限定としての意識作用」

深い人生の悲哀を動機とするとき、好む者から楽しむ者への意識の遷移が要請されるのではないか。

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