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競輪のこと。

写真が若すぎるッ!!
長男が旧5番車のユニフォームを着ているくらいだから20年弱前のもの。
今は全くと言っていいくらい別人です。髪も薄くなったし、太ったし。

今でも好きです。競輪。
公営競技の中では間違いなく一番です。

今日は少し昔話をします。
中学3年生の時、両親は離婚。母親は再婚して阿佐ヶ谷に住み始めました。
私たち兄弟3人は父親が面倒を見るということになり、進学する高校は卒業出来ればどこでもいいと、確実に入れる公立高校へ進学しました。
父に言われるまま日本競輪学校を受験するには当時、高卒が条件でした。

私の通学は同級生が電車やバスを使うところを毎日自転車で。
徒歩では2時間以上の道のりを30分で通っていました。
今、考えれば大したことないのですが当時同級生からは『信じられない』と言われ、図に乗っていたことは否めません。

そして、私自身は父親の言いなりで競輪選手にはなりたくなかったのです。それを変えたのは高校2年の時に知り合った山田君。私が自転車で通っている事を知った彼は『ギャンブルレーサー』という競輪ファンなら知らない人はいないであろう漫画を勧めてきました。

これを読んだ私は競輪に少なからず興味を持ち、休日の度に山田君と競輪場に行くということを繰り返し、次第に興味を持ち始めました。やるだけやってみてもいいかな程度には、です。失礼極まりなく。

当然卒業後、プロに弟子入りして3ヶ月で自分の認識の甘さを痛感したのですが・・・父は2年間、諦めさせてくれませんでした。
出なくてもいいと思った成人式。それぞれの進路を歩んでいる同級生に会った時、何やってんだ自分、となって勘当同然の状況で抜け出します。

以降、ごく普通のファンとして適度に競輪と接してきました。教育上良かったのかどうかはわかりませんが子供たちをよく競輪場にも連れて行きました。競輪が好きで見に行っていただけで、息子を選手にしたいとかは全くなく、父親を反面教師として意地になっていた部分はあるかもしれません。
ただ、男手一つで高校を卒業させてくれたことには感謝しています。

私が次男坊の相撲で土俵に上がったのも、そういう理由からです。
やったことがないのに口を出すのはいかがなものかと。
実際、見ているだけなのとやってみるのとでは大違いなのです。

あれ? 相撲のことって、土俵に上がったって話まで進んでいたっけ?
6週分くらい書き溜めてはあるけれどw まだまだやん。

まあ、いっか。


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昔、作成していたHPのお絵かきデータが残っていたので貼っておきます。