見出し画像

台湾へ、自殺寸前だった女の一人旅⑨5日目_台南2/2

こんにちは。
自殺寸前だった私が、台湾へ一人旅し得たものを書きます。始めての方は序章を参照ください。
今回は、5日目の台南後半。安平の暑さに辟易し、花園夜市では、家族連れで賑わう広場の片隅で、グアバを片手にバスを待ちます。

行った場所:
台南→赤崁楼→水仙宮市場→安平(安平樹木屋・安平古堡・安平老街)→花園夜市
食べたもの:
鶏肉飯、春巻、かき氷(裕成水果店)、豆花、夜市で一人鍋
体験:
暑い安平、夜市でのスマートな人の助け方

バスで向かった先は安平。
台南の中心部からバスで20分ほど、もっと先に行くとマングローブ観光ツアーや湿原もあります。過去に行ったことがあり、マングローブよりも、カニを触ろうとする外国人観光客とガイドのおばちゃんの壮絶なマイク越の戦いの方が面白かった印象が。

しつこいけど、春節の安平はものすっごい人混み。観光名所の安平樹木屋・安平古堡は通り過ぎます。

大きなお廟
う、さぎ!?


安平で有名なのは、シュリンプロールですね。
よしよし、今回も食べるぞーと行ったら、え、2本で80元?!日本円で500円?ありえん。食べずにとぼとぼと、静かな路地へ。
安平の大通り(食べ物屋さん通り)、その奥は、老街(雑貨やドライフルーツのお店が並ぶ通り)、そのもっと奥の路地裏には、牡蠣やサンゴでできた低い壁の小道が入り組んでいます。不思議と観光客は少なく(みんな食べるのに夢中なよう)まるで南の町の迷宮に迷い込んだような錯覚に陥ります。何往復もしました。こんな公共の道でも洗濯物干してるとことか好き(しかも、干し方が私の100倍丁寧)

新年のかわいい貼り紙
観光地で堂々たる洗濯
お廟、よく見るとサボってる人形も

暑すぎてこのままでは脱水になる、と思ったためとっとと戻ります。帰りのバス停が相変わらず分かりづらく(観光線とローカル線の2路線があって、どちらも間隔が広い)アプリで見つけたバス停でポツンと待つことに。すると、同じく観光と思われる台湾の学生さんに、本当にバスは来るんだろうか、と聞かれたので、アプリでは来ると言ってるよー、と答えてふたりでバスを待ちます。少し先の大きなバス停では、他の学生グループが待っていましたが、アプリによると、バス停は大きなバス停でなく、ここで合っている、はず。アプリと日本人の私を信じてマイノリティグループは小さなバス停で待ちます。すると、やってきたバスはこちらのバス停に止まったー!大きなバス停から、グループが急いでわらわらと走ってきます。心の中で、一緒に待っていた子とハイタッチ。台南駅へ向かいます。


帰りのバス停前の日本家屋

バスがホテル前に止まったので、一度ホテルで一休みします。
今日もたくさん移動して歩いています。
日本で、ひきこもっていた人間の体力と活動とは思えない。もともと足は強いんですが、旅でアドレナリンがでているのか、なにかが私を後ろから、もしくは前から引っ張って歩き続けた旅でした。

夕方になって、のっそりと起き上がります。
疲れた…でも、私の大好きな花園夜市へ、行かねば。

台南の駅前は、円環になっていて、あまりにも路線が多いため、北駅・南駅とバス停が分かれています。なので結構分かりにくい。
夜市に行くバス、のはずだけど、運転手が乗っておらず、乗るか悩んでいたら、ぼさぼさの髪の毛で服装も古ぼけた女性がぶっきらぼうに「どこ行くの?!」と強い口調で聞いてきました。一瞬、やばい人?と思いましたが、その女性はへこたれず、「どこ?!」と聞いてきました。恐る恐る、花園夜市に行きたいけどこのバスでいいか迷ってる旨を伝えると、「このバス!!」とのせてくれて去っていきました。
…ごめん、台南、なめてた。この強さとぶっきらぼうだけど気持ちを折らずに聞いてくるこのシンプルさがたまらない。

台南の夜市は曜日で順繰りに広場をめぐって開催されます。各夜市の開催場所、曜日はどこかのサイトが親切丁寧に書いてます。
中でも大きいのが、木・土日に開催される「花園夜市」。通りで開催される他の地域の夜市と違って、大きな広場で開催されます。食べ物ゾーン、雑貨・服飾ゾーン、遊びゾーンと分かれていて大賑わいです。

夜市外観


この台南のあったかめの夜にあったかめの雰囲気の夜市が大好きなんです。
夜市の様子は、きっと他の人が詳しく書いてくれています。

一人鍋
髪飾りすら食べ物


ここで印象的な出来事に出合います。
帰りのバスを乗り過ごし、30分ほど待つことに。
夜市の開催する広場に戻り、隅っこでぼんやりと賑わいを眺めます。私の前に、小学2,3年生ほどでしょうか、女の子がフードを目深にかぶって、両手でお菓子がたくさん入った段ボールを持ってずっと俯いて座り込んでいます。あとで、台湾の友人に聞いたら、物乞いの一種(表現が悪かったらごめんなさい)だそうで、台湾の物乞いって、目に見える身体的特徴があることが多いので、こんな普通の子供がひとりでいるのは私は初めてみました。
家族連れや、恋人、友人同士でモノを買い、楽しそうに遊ぶ陽の夜市には、全く似つかわしくない、ある意味、負の景色でした。少女の服が黒のフードパーカーだったこともあるかも。旅先で、楽しく親切で美味しくてパーフェクトに見える景色が全てではなかった。親切だと思っていた台湾の人たちが、少女の前を食べ物を片手に通りすぎていきます。そんな中、ダサくて地味な(失礼)おじさんが、少女の前で立ち止まりました。段ボールの中のお菓子をひとつづつ手にとり、袋に入れてお金を払います。多すぎたようで、少女は一度断りましたが、おじさんは、少しだけ身の上について話したあと、すぐに去っていきました。
私にとって、その光景はとても衝撃的なものでした。
夜市って、ナイター球場のように照明がガンガン照り付けて、夜の一角、そこだけ明るいんです。それでも、照明の当たらない広場の隅っこに座る乞食の少女と、おしつけがましくない助けて去っていくおじさん。
貧困が身近にあり、それを助ける人も敷居が低い。台湾が大好きだけど、どこも完璧なところなどない。


日本にいると、あまりにいろいろなことを知りすぎてしまっていて、ここではこのくらいの服装でこのくらいのテンションと言葉遣いと立ち振る舞いで、聞こえてくる会話で自分を制御しているところがあります。
私は家庭でも、実家でも義理の実家でも仕事先でも全部でそうでした。服もメイクも立ち振る舞いも言葉遣いも全部変えて、どれが本当の自分か分からなくなっていてまるでピエロみたいだった。
空気に合わせて役を演じられるのは悪いことではありません、それが楽しいときもあった。だけど、その役を着たままだと辛かった。
自分というものは、もっともっと人間くさくて、怒りっぽくて、泣いて笑ってクールで、たくさんの面があって、それの綺麗ぽいところだけを見せているのは実は苦しかった。
役を脱ぎ去る時間が、あまりに多くの綺麗な役を演じすぎて無くしていました。
今回の旅で、服装がどうであれ親切にしてくれた人、乞食の少女を助ける男性、そのおしつけがなしくない人の対する親切、まるで小さな段差をひょいっとまたぐぐらいの自然さで。
私はこれまで息をするのも動くのもすべてが苦しくて、しまいには体が動かず、声が出ないことがありました。
本当はもっと楽に話したかったし、楽に動きたかった。でも、美しい言葉、正解を探りすぎていた。正解を探し続けるのは、美しい行為のようでいるけれど、正解ではない自分を否定して自分を壊していました。
楽に生きるって、なんだろう。それを少しづつ、頭でなく、目でみたもの、耳で聞いたもの、五感が、楽に生きるってこんなことじゃないだろうかと、改めて教えてもらった旅になりました。

バスでホテルに帰って、たくさんの体験をしたので、ふらふらとベッドに倒れこみます。ケチって、台湾でよくある仕様の窓のない部屋を予約したため、空気が悪く喉を傷め、以降、私は喉の痛みと違和感を抱えながら旅をすることに。とほほん。

次の日は、台南にもう1泊しながらも、高雄の島に日帰り自転車巡りに行きます。
旅もそろそろ折り返し。もう長く旅行しているように感じながらも、あと半分もあるので無事に過ごせるか、本当に台北に帰りつき、日本に帰れるのか、不思議と不安と、それでもこれまでなかった開き直りのようなものが芽生えてくるのでした。

読んでくださってありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?