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江戸の広告作法

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江戸の町人文化に華開いた、あの手この手の宣伝広告。 そこには「粋・洒落」などの美意識の中で洗練された広告の作法がありました。世界に類を見ない独創的なアイデアや表現を当館のコレクシ… もっと読む
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2019年8月の記事一覧

第6回「コミック ――それはどこから生まれたのか?」

「ONE PIECE」に「名探偵コナン」、「ドラゴンボール」に「ドラえもん」……、世界が注目する漫画やアニメを生み出す「コミック」は、クールジャパンの代表格で、もはや日本が誇るメインの「文化」になっています。かく言う私も、学生時代に創刊された青年コミック雑誌を今に至るまで、なんと50年間も愛読しているんです(笑)。 ただ、そんなコミックのルーツが江戸時代にあることは、みなさまご存じですか? さらに驚くことに、現代で花咲く広告手法の一つ、各メディアの特徴を活かした、企業ブラン

第5回「江戸の流行情報を満載の双六(すごろく)!」

「東海道五十三 駅見立 江都名物当時流行双六」文政~天保年間 この絵双六は江戸で評判のショップやグルメ、流行りものを紹介する最新のニュース報道であり、子供も大人も一緒に楽しめるゲームソフトでした。東海道五十三次の道中(どうちゅう)を題材とする、この「江都名物当時流行双六(えどめいぶつとうじりゅうこうすごろく)」は、遊びと広告の両面を備えた、トレンド情報満載のツールだったのです。そもそも道中双六とは、お伊勢参りなどの旅行ブームにあやかって、宿場町やその土地の名物を紹介し、旅の

第4回「コピーライターの元祖!平賀源内」

※ヘッダー:平賀源内全集上巻/平賀源内先生顕彰会刊より 源内先生、歯磨き粉の広告コピーを書く!それは「嗽石香(そうせきこう)」という歯磨き粉発売の宣伝文です。 1769(明和6)年、平賀源内が恵比寿屋兵助の依頼によって書いた引札(ひきふだ:チラシのこと)でした。 この時代の先端を行く著名な文化人といえども、浪人の身分でした。何がしかの収入を得るために、気軽に町人たちの求めに応じて、筆を執ったのだろうと思われます。 平賀源内(1728-79)は元高松藩の武士でした。本草学は

第3回「駱駝(らくだ)が江戸にやって来た!」

1824(文政7)年8月、珍獣・駱駝(らくだ)が江戸にやって来た! この錦絵は今風に言えば、ラクダの見世物興行を伝えたニュース速報であり、またイベントの告知ポスターでした。興行主が依頼、制作した『駱駝の図』は、当代人気の歌川国安の画、口上文は戯作者(げさくしゃ)・山東京山(山東京伝の実弟)の作。「ラクダは身の丈9尺、頭は羊に似てうなじ長く、脚に3つ節があり、座るときは脚を3つに折る、ゆえに乗る時便利なり。草木類を食すが、特に大根が好みである。重い荷物を背負っても1日100里の

第2回「世界に先駆けたマーケティング」

三井越後屋の斬新な「現金掛け値無し」商法は新しい消費の形を作り出しました。開業した1673(延宝元)年の日本は、右肩上がりの経済成長を遂げ、江戸も巨大消費都市として成長しつつありました。町人層を新しい購買層として獲得することに成功したのは、時代のニーズに合致したからなのです。 社会学者ピーター・ドラッカーは著書『マネジメント』のなかで、東洋におけるマーケティングの始まりを、17世紀半ば「三井家の始祖・三井高利(たかとし)」に見出しています。ドラッカーは、①顧客のための「仕入係