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変わるものと変わらないもの

新年早々、気疲れました。
そしてnoteを約一年間やっていた自分に感謝しました。




あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

年末年始は自分の実家と夫の実家をそれぞれ日帰り、一泊してきました。
どちらも子どもたちがいたおかげでとても賑やかな年の瀬とお正月になりました。


私は実の両親とは比較的良好な関係です。
根本的な性格が全く合わないということはなく、合わない点があったとしてもそれは"年齢(世代)差による価値観の違い"か"単に好みの違い"なものが大半です。
そしてありがたいことにお互いがお互いにその違いを相手に押し付けるようなことはしません。
親と話をするといつも気分が悪くなる、ということがないので随分ラッキーだと思っています。

そうは言っても私ももう人の親です。
子どもを産んで考え方もずいぶん変わりました。
そして自分の親とは一緒に住んでいるわけではないので、久しぶりに会ってしっかり話をすると
 あれ、この人こんな人だったっけ?
と思うことがチラホラ出てくる訳です。特に父。

それは自分が変わったからなのか、父が老いと共に変わったからなのか。多分両方。

そういう相手が変わった所を把握できないまま、過去のイメージのまま話すと小さな齟齬が生まれてきます。
その上私は、親に言わせると「物言いがキツい」らしいです。(自覚はある)
親からすれば「そんな言い方しなくても…」と思うことも。(自覚はある)
そんな絶妙な行き違い要素を含んで真面目な話をするとどうなるかと言うと。

わぁ、不穏な空気…(正月なのに…)


これはまずい。
弁解と今後の関係の為に少し時間を空けて電話で改めて親と話をすることにしたのですが、
電話をする前にスマホのメモに2000文字程度の下書きを打ちました。

親に電話をする為に話す内容を2000文字打つ。
聞いたことねぇ。

しかし私は不機嫌な父を前に真剣な話をしようとすると、頭の中が混乱してしまう可能性が高いのです。
台本(カンペ)は何としても必要でした。

冷静に不穏な空気になったときの会話を思い出し、父が内心怒っているであろう点を洗い出し箇条書き。
それぞれに弁解と反省を織り交ぜ、最終的に謝罪に持っていく流れを作ります。

本音で言えば父にも否がありますが、父が謝ることは考えられないので期待しません。
ひたすら自分の否のみについて謝罪します。

何度も読み返し、話の矛盾や誤解を生まない表現か確認します。
実際話す時は話し言葉に換えますが割と細かくカンペとして起こしました。

結果的に電話は和やかな空気で終わりましたが、途中で「あ、この人もう自分が聞きたくない、都合が悪い話は最後まで聞いてみようという気すらないんだな」とちょっと悲しくなる一面も垣間見ました。

が、カンペを用意していたおかげで終始私も冷静でいられました。
年末のフラグをわずか4日で回収することになるとは自分でもびっくりだぜ。


それにしても、去年約1年間noteを通して自分の思いや考えをまとめる作業を繰り返してきて本当に良かったと思いました。
何を言うべきか言わないべきか、考えながら話すのは私にはとても難しいことです。

理路整然とまではいかないものの、話の大筋を外れずに要点は取りこぼさない。
うーんやっぱり難しい。

父があの年で変わることは期待しません。
私が変わるしかないのです。
自分でも分かっている良くないところは変わらなければ。
私が彼の娘なのは変えられないことなのだから。

今回は本当にnoteの存在に助けられました。
ありがとうnote。


いやぁ〜歳取った親ってめんどくせぇなぁ〜笑(本音)




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