や、ヤバい私と子ども達……このままではホームレス??【第九話 ~ 過去は私の生き方に影響を与えている ② ~】

こんにちは!
土地が買えるのか?無理なのか?どちらにしてもこの家を一旦離れなくてはいけないので、時間を見つけては断捨離しているのですが、そのペースよりも散らかされるペースに追い越され、終わりの見えない状況に精神的苦痛を味わっているまきんちゃんです...(lll-ω-)チーン

さて、今回は幼少期の話です。

<幼少期>

半ば夜逃げ状態で離婚をした母

( 父方のお母さんは
『こんな息子(私の父)と一緒にいたら皆がダメになる』
って言って、家を出る手助けをしてくれたらしい(;^_^A ……そんなに酷かったのかい(笑))

そんな大変なことが起きている事なんて、まだ小さい私にはさっぱり覚えがありません

ガラリと環境が変わってしまったことが分かるけど、まだ表現するだけの能力が備わっていない年齢の兄は、色々と大変だったんだろんなぁ…( ・᷄-・᷅ ).。oஇ と思います。

環境の変化から兄が小さい頃はとても繊細だったんだとか……
母は朝から晩まで働かないといけなくなったので、2人は保育園に預けられるようになりました。
保育園で兄は友達とも遊ばず、私のそばを離れなかったんだとか。
私が眠りから覚めて泣けば、スグに飛んで来てあやしてくれ、また寝かしつけては外をぼーっと見ている毎日。その様子を見て保育園の先生が兄を心配していたんだと母から聞きました。

小さい兄には、とっても負担だったんだと思う。
色々なストレスと心配で…服に付いているヒモや袖をかじってはボロボロにしてしまったり…無意識に言葉には表せない心の叫びが、行動に現れていたんだよね。

保育園での兄の様子を聞いた母は、心配になって保育園を変えたんだって。

母から話を聞いている最中「そういう問題じゃないだろε-(/・ω・)/」とツッコミましたが(笑)

寂しくて寂しくて、心配で心配で、でも「お兄ちゃんだから」って一生懸命頑張ってくれたんだと思います。

いつも見守ってくれていた兄には本当に感謝しています。

その後も保育園を転々としたようです。
保育園を色々変えた理由の一つは『父』

父は、保育園の場所を探し当てては、私達を連れ去ろうとするから、保育園の先生達は私と兄を連れ去られないように守ってくれていたらしい。

そうこうしているうちに、私は幼稚園に入る事が出来る年齢になったので、小学校に上がるまでの間、とある幼稚園でお世話になったようです。

この幼稚園の頃からは所々記憶に残っております。

なんと言っても、お爺ちゃんとお兄ちゃんとの自転車での登降園は楽しかったな~♪

前カゴに私、後ろの荷台には兄!
今のように、子ども専用の座席なんてなかったので、普通の自転車の前のカゴに、私はスッポリとしゃがみ、兄は後ろの荷台に二つ降りにした座布団を敷いてまたがり、必死にお爺ちゃんにしがみつく。

今では考えられない光景です(笑)

お爺ちゃんは、わざと段差でガッタンゴットンさせたり、チョッとスピードをあげたりしてくれ私達をキャッキャキャッキャと楽しませてくれたっけな~(๑>∀<๑)

幼稚園での生活に慣れてきた頃、お友達が出来たんだ。
その子のお家はお花屋さん。性格は私と真逆でとっても内気な子。

そのお友達は、幼稚園に行きたがらなくて毎朝お母さんが困っていたんだとか……
でも、私が迎えに行くと喜んで行ってくれるようになった事を聞いたお爺ちゃんは「今日も迎えに行ってあげよう」って言って、よく3人で迎えに行くようになったんだよね(*Ü*)ﻌﻌﻌ♥

今振り返ってみると、私はそんな優しいお爺ちゃんと一緒に過ごせて幸せだったなぁと染々思います。

ただ毎日が楽しくて、父親がいない寂しさなんて全く感じなかった。

この一般的に両親揃っているのが普通と言うのであれば、この普通ではない生活が私にとっての普通だったんです。

つづく

行政に頼りきりではない自立した自由な福祉の仕組みを作り、その仕組みでOHANAみんなの居場所を作りたい!そして、その仕組みを広めたい!応援宜しくお願い致します٩(๑^o^๑)۶