AIに出来るのか


台本には「止まって」というセリフが書かれていたそうですが、弱く感じた天海さんは、アフレコで「『止まれ』にしていいですか?」と確認し、渾身の思いで「止まれー!」と叫んだそう。その後、打ち上げで『名探偵コナン』の原作者・青山剛昌さんから「あれセリフ変えたよね」と声をかけられた天海さんは、とっさに「すいません…」と謝罪したそうですが、青山先生は「あれは『止まれ』で正解でした」と返し、天海さんは「よかった~!」と安堵したといいます。


AI技術が進んでいて、おそらく映画一本創るにしてもサンプルだけ集めて、あとは独りでそこそこのモノがデキてしまうだろうけれど。


ここ、なんですよね。肝はここ。ここで作品に命が、魂がふきこまれるか否か。

例えばの話、この映画をAIで青山氏一人で創ったとしたらおそらくここのセリフは「止まって」で創られただろう。ここがAIの限界。

限界、というか、なんだろうな、所詮AIというか。

AIに「地球温暖化防止策」といれたらおそらく最終的に「人類を滅亡させよ」と出す気がする。いや多分絶対。だって間違ってはいないし、地球温暖化防止策としては正しいから。

で、あAIの回答だからと、人類滅亡に向けて世界が進むかというとするわけがないですよね。最もその答を得られたからプログラムを遂行せよ、とまでAIに任せたらAIは動き出しますけど。

SFの世界が現実になりつつあります。

でも、最終的に判断を下すのはヒトです。AIではありません。そうプログラミングしたのがヒトだから。

「AIが下した判断だから」としてしまったらそれはただの責任転嫁。

あれ、これって何かに似てる、そう、某宗教。神の教えに間違いはない、背くものは排除してもいい。

排除したことの責任を神に転嫁したのと一緒。自分で手を下しておいて責任を神に転嫁とは神への冒涜もいいところ。神に責任転嫁するのであれば神に生死を託せばいいものをなんでお前が手を下すんだ?

としたところで、今最先端の技術AIと、人類初期の思考、宗教と似てきている。結論が同じところに辿り着く。

誰かがそんな名言を残していたな。

最近の私もそうで、ぐるっと廻って同じ結論に辿り着く。螺旋階段、あるいはメビウスの帯のように。

そしてこうなる。

目の前のことを一所懸命にするだけだな、と。







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