小学校低学年、いじめられっこの時代

いじめられっ子だった。叩かれる、ぶたれる、蹴られるは毎日。バイキン呼ばわり、仲間外れ、汚い、臭い、そんな事も毎日。いじめられやすい要素はあった。母親がああだったから、おおよそ来ている服は全てお下がりかお古だし、髪の毛は切りっぱなしだし、お弁当は美味しそうじゃないし。他諸々。

お弁当、毎日蓋で隠して食べてた。皆私に触りたがらない。掃除の時間で、皆私の机を運びたがらないので、私の机から後ろは毎日いつまでも運ばれない。物は失くされる、壊される。

いつも1人。

”〇〇さんと組んで何かやって〜”というのは私には拷問の世界だった。誰も私とは組みたがらないから、先生が誰かをあてがってくれるというのがいつものパターンだった。

先生がいるといじめられないから、昼休み、休憩時間、登下校時間皆嫌いだった。ギリギリの時間に登校したがり、下校はいじめっ子に見つからないように帰ってた。

ああ。だから退行催眠受けた時、学校の床と自分の上履きしかイメージ出なかったんだ。

一回だけ、激しく登校するのを嫌がった事がある。行きたくないと泣きわめいたのである。と言ってもまだ思った事言葉にする力のない子供。どうして行きたくないの?と問われても答えられなかった。いや、答えてはいたんだろうけど言葉にならなかったか、泣きながら言ったから聞き取れなかったか。あまり覚えていない。集団登校だったから上のお姉さん困らせただけに終わった。

汚い言われたから毎日お風呂入ったし、昨日と同じ服着ないようにした時もあった。でも子供の私にできるのはそれくらい。まだまだ両親の庇護の元の生活時期。いじめはなくなることはなく、私は努力という言葉が嫌いになった。

ちなみに両親は私がいじめられていた事に気づくことはなかった。(後々に私が話題にしたので確認済み)

·····そういえばいつだったか、先生の都合で突然授業が自主勉強の時間になって、作文を書く時間になった。お題は”将来の夢”

     将来の夢        
                 ○年○組  とみはじめ

 私は将来

そのあと、一文字も書けなかった。書けなかった人はお家で書いて来てね〜と言われたが、提出を求められはしなかったので、そのままランドセルのどこかに仕舞われ、いつしか忘れた。

小学校低学年で、将来の夢が描けないってやっぱりおかしいですよね。

一番多いであろう”お嫁さん”······特に男子からのいじめが顕著でしたからね。お嫁さんの夢はこの時で既に持てなかったです。これが私の人生に大きく影響してるのは確かです。何しろ結婚するが頭にないのですから。

アニメは好きだったから見ておりましたけど、もう少し成長してドラマが理解出来る年齢になっても、あれだけ人気になったドラマを私はほぼ見ていないのです。自分には縁がない話と思っていたから。

ふぞろいの林檎たちだとか、東京ラブストーリーだとか。101回目のプロポーズも見てないです。

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