私に”鬱が治った”という認識はありません。

そういうと不思議に思うかもしれませんが、人によっては躁鬱病ともいうかもしれませんが、これからも長いようで短くて、短いようで長いかもしれない人生の中で、落ち込む日もあれば心躍る日もあります。何回だって。ただこれらが自分がコントロールできないような、もっと具体的にいうと日常生活に支障をきたすようだと”病気”と判断されるだけです。例えば愛する人が亡くなった、誠心誠意込めた事柄が意味をなさなくなった、などなったら、落ち込むのが当たり前なんです。何にもする気がなくなっても当然です。度合いによっては長期に渡る事があるかもしれません。ただそれが”度”が過ぎてしまっただけなので、それが戻ってきた、まだ落ち込んではいるけれど、象徴でしか説明できないんですけれど、鬱という泥沼にハマり混んでいたけれど、その泥沼から抜け出せて、縁でちょっと休んで体力を取り戻し、自力で立って歩けるようになった、というような感じです。これからも泥沼にハマるかもしれないけれど、自力では泥沼から抜け出せなくなるような事態にはならないようにしようと思っているのです。

本当に辛かったから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?