声優〜その悪魔的魅力と誤解〜


やめておけやめておけと声高に叫ばれるその裏で挑戦し、挫折していく者が後を絶たないという声優という職業。軌道修正しそれなりの人生を送っていればよいが、中には私のように重症に陥ってしまった者や、もっと悲惨な生活を送っているものも後を絶たない。

実は私の知り合いでも残念ながら命を経ってしまった者が数名いる。顔見知り程度の間柄だが、私自身もともすれば仲間入りをしていたかもしれない。

もっと学校側がこうすべきだとおっしゃってはいるが、当然だが学校側にこれを伝える義務はない。需要と供給の問題。自業自得の問題。某声優さんがカモといったのはあながち間違ってはいない。

このような悲劇を少しでも減らしたいと思うからの投稿だが、私は違う方向からのアプローチをしてみたいと思い立った。

まず、声優という職業が、なるハードルが低いと思われているフシがある。

これがサッカー選手だとか野球選手だとかだと、少なくても中学、高校くらいでやっていける能力が備わっているかが見極めることができる。自分の運動能力が人並みかそれ以下だとわかっていて、高校生卒業くらいで目指そうという人はまずいない。自分には無理という判断がつきやすい。

一方、医者や弁護士などは国家資格が必要で、難関であるというのも想像がつく。よほどの情熱か、熱意があってかつ、俗にいう頭脳明晰でないと成れないという判断がつく。

これがコト声優になると勝手がちがう。ゲームやアニメ、洋画の吹き替えなどで小さい頃から見聞きしている上に感情移入しやすい。キャラクターの言うセリフに共感もしやすい。

しかも使うのは普段から使用している日本語言葉。国家資格などは必要ないし、俳優や女優のようにみてくれで役が左右されることも少ない。声さえ良ければ顔が悪くてもイケメン、美女になれる。

自分でも簡単に出来そう&ともすればかっこいい役や美女キャラになれる。

更に普段では決して使用しないような歯が浮くような台詞を大真面目に言えたり、虫けらどもだとか自分以外は皆ゴミだとか、まともに言ったら人間性を疑われる言葉も公然と吐ける(しかも本気で)

こんな魅力的な職業は他にはない。

こうして魅力的でしかも簡単になれそうに感じる声優という職業目指して若者中心に続々と集まって、カモとなっていくわけである。

しかも始末の悪いことにこの声優という職業は、承認欲求という深層心理の欲求を満たすこともできるし、声優を目指すものは自己顕示欲の強い小心者という誰かさんの言葉のような、人を引き付ける魔力までもっている。(私はここに入っていたかもしれない)

さらにさらに、声優という職業、定年退職がない。スポーツ選手のように現役期間が短くはなくむしろ長い。資格取得まで活動してはだめ、ということもない。間の悪いことに声というものは老いを感じにくく、ヒトの機能の中では衰えるのが比較的遅い機能でもある。顔も出さないものだから某氏のように勇退する、というまで続けられ、それはとりもなおさずいつになったら稼げるようになるか、という期限もない。いつチャンスが訪れるかわからないから辞めにくい、というバクチ要素まで備わっている。

そもそも目立つことが苦手で自己顕示欲の薄い人はなりたい職業として選ばないので省くが、三日間舞台に立ってスポットライトを浴びたら容易には抜け出せないという舞台の魔力。役者の魅力。これにハマって、もしかしたら、いつかは、いずれ、そんな思いを抱いてズルズルしている人もゴマンといるだろう。私だってそうだった。

いまだって機会やチャンスがあればやってみようかくらいの気持ちは実はある。ズブのトーシローよりも全然マシという自負はある。やらないけれど。(外郎売りの台詞の音声公開したのはそんな理由)

当選確率の低さを計算してみせても宝クジ買う人が後を絶たないように、そんなものでは目指す事をやめる人は減らないだろう。

だからせめてここだけはやっておけだとか、そんな事を後半では綴っていきたいと思う。


以前にも書いたが、音感、滑舌のよさ、読解力、このうち一つでも欠く人はやめておけ。よしんば何かの運で一回二回くらい声を当てることが出来たとしても長くは続かない、それだけで食べていけるようにはならない。運動能力ないのにスポーツ選手になろうとするようなものだ。

そもそも声優は、食べていけない役者の卵が、洋画の吹き替えや国産アニメの制作などで需要が上がり、アルバイト的感覚の仕事だったのが始まり。創世記と呼ばれる方々がやがて声だけの仕事が増え、と共に声優という名のついた仕事の地位をあげようと努力された。

今でこそ超一流の声優はそれだけで食べていけるが、当時は食べてはいけなかったのである。

今でも純粋に声優だけで食べている、という人は少ないだろう。

舞台に立ったり、講師をしたり、こんな仕事もやっているのか!という以外なところでお目にかかるかもしれない。

私が一番長く従事した講師でさえ、芝居に関する仕事に携わりたいと、音響制作もしていたし、車内吊り広告のモデルの仕事もしていた。

余談だが、顔バレしない声優と、こうした広告であれ、テレビなどでの顔出しの仕事では、ギャラがかなりちがう。それだけ素顔が公になる、ということはなかなかのことなのだ。

おそらくほとんどの声優は舞台に立っているはずだ。いや、舞台に立っていないと本当の意味での実力がつかないのだと思う。そう「声だけ」役者の「声優」は、事実上はいない。声優の仕事が多いから便宜上「声優」としてるだけ。

声優「だけ」目指そうというのはやめておけと言えば少しはハードルがあがるだろうか。俳優、女優、あるいは舞台役者になるというのとほとんど変わらないと言えば少しはハードルがあがるだろうか。

特別な資格が必要ないから目指しやすい一面もあるが、これは逆にいうとなれなかった時の潰しが効かない、ということでもある。舞台に立った経験をしたり、演じることの魅力を知ってしまうと抜け出すことが困難になるため、それこそ気がつけば何の取り柄もない売れない役者になっている。かつての私のように(今の私も何もなしていないけれど)

人生は何度でもやり直せる、とは、ある意味真実だけれどある意味間違ってもいる。それを語ると長くなってしまうからやめるけれど、RPG だって進めるほどリスタートは辛くなってくる。やり直し、人生の修正は早い方がいいのは確かだ。失うものが少なくて済む。

声優を目指そうというものはそれが出来なくなった時の先々を考えて予防線を、滑り止めを設けて置くことを強くおすすめする。

私は声優を目指したことについての後悔はないが、これをやっておかなかったことは後悔というか手落ち、あるいは無謀、愚かだった。(当時は慢性的人手不足だったので、無理だったら再就職すればいいと安易に考えていた。こんなに再就職が難関になるとは思ってもいなかった。挫折したあとに待っていたのは後悔ではなくて結局何も得ていないという「絶望」だったので)。

いくつか例をあげておく。実家が商売をやっていて、そこを手伝えるだとかあるいは跡を継ぐことになるだとか、不動産経営していて家賃収入があるだとか。

何がしかの国家資格持っている、特許を持っていて収入がある、書籍を出していて印税が入るなどなど。

ある本などは「野垂れ死に覚悟で」と書いてあることもある。若いうちは勢いでままよ!とばかりに進んでいくが、いざその時に、あの時の野垂れ死に覚悟を受け入れるのは酷くみじめで容易ではない。(最もそうなのだから、残念ながら命を絶ってしまう人がいるわけで、それを推奨しているわけでは決してない)

逃げ道を断って背水の陣で挑む、という戦略もあるし、そこまでの覚悟で挑まないと到底なれない、みたいにうたっている本も少なからず存在するが、私は絶対におすすめしない。リスクが大きすぎる。

私が長く教えを受けた講師は「(役者という職業は)河原乞食だ」と言った。私は「一生遊んで暮らしたい者がなる職業」だと思った。B’zの曲「Time Flies」に「楽なことだけしたいのなら、それなりに誰か笑わせて」という歌詞がある。超有名某声優 N 氏は「夢を与える仕事だから」と言った。

声優に限らず全ての仕事は表層に現れるモノコトの何十倍何百倍ものモノコトが裏にあるけれど、この裏のモノコトの足りないヒトはやはり難しいといわざるをえない。

声優でいうところのモノコトは身体で表現すること全般的のことだ。

歌唱力からダンスから、殺陣、モデルのような服を魅せるということについての表現方法だとか。

そう、だから幼少期からダンスしてました、モデルしてました、あるいは子役のスクール通っていました、だとか何かしら身体で表現するコトをやっていてわかっている人は声優になれる確率は高い。こういう幼少期を持つ声優さんも多い。


ここまで書いても、いやそれでも目指す、という者へ。


最後の通達として、期限を設けよ。期限とはつまり、いつまでになれなかったらやめる、だとかこうなったらやめる、だとか。

散々書いた通り、目指すのをやめる、という決断が出しにくい職業である。でもどこかでけじめはつけないといけない。諦めなければいつかは叶う、なんて戯言言わないし、言えない。それができるのは半永久的に生活に困らないヒトだけだ。

プロになる、というのはそれで稼いで食っていく、ということなので、無理だと悟った時点できっぱりやめるべきだ、プロになりたいのならば。

そうではない、というものは、この一連の記事は全く無意味。付き合ってくれてありがとう。

以前にも書いたが、自分に才があるか、それを見極めるには私が思うに最長で2年だ。理想は事務所やプロダクション直結の養成所に入って2年学ぶ。ほとんどはカモだが、もちろん優秀な人材を発掘する、という目的もある。ほとんどカモ、というのは毎年入学の生徒数で、本当にモノになるのは一人か二人だからだ。いない年もあるかもしれない。優秀であれば2年のうち向こうから必ず声がかかっている。だから2年いて、何事もなければすっぱりあきらめよう。

まだ別の職業に戻れる内にやめよう。

私は資格というものを全く取っていないので、その資格がどのくらい通用するかがわからない。例えば教員免許を取っていたとして、その後声優目指して何年間か教育現場から離れて、挫折して、やっぱり教師になると、その教員免許の効力がどのくらい効くのだろうか。

もちろん資格は一生物なのだろうけど、5年も6年も実務経験なくても果たして成れるのかな、ということである。空白期間ががあるから暫くは臨時教師で、とはならないのだろうか。資格によっては実務経験何年以上とかもあるだろうし、その間に基準が変わったりすることもあるだろう。

某お笑い芸人(女性)が売れなくて貧乏暮らししていた時、もちろん風呂、トイレなしのアパートに住んでいて、外の公園の水道で頭を洗っていた、という話をしていて、私にはそこまでは出来ないな、と思ったことがある。この辺りどこまでならできるか、というのは個人によるところが大きいが、私は国民健康保険が払えなくなるのはやめよう、と決めていた。(それでも免除期間申請して納めなかった期間は存在するが)。

バイトで家賃や学費などの支払いで貯金なんてものは全然できなかったが、最後の砦としての国保未払いは自分の中で絶対NGと決めていた。そんなこんなで週一しか確保できなくて十年余りもかけてしまった訳だが。

だから出来ればほぼ毎日ある養成所に通い2年で見極める、ということを強くおすすめする。

最期に、当時一つ先輩で、某プロダクションには所属出来ていた人の話を書いておく(当時の話)。


プロダクション所属のトップ1,2の人が仕事の大半を持っていく。3番目の人がそのおこぼれを預かるので、それより下のものにはほとんど仕事は回って来ない。









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