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自分を表現する方法がわからなかったのかもしれない

3月31日。明日から新年度。
ということで1年間を振り返ってみようと思う。

やっぱり今年はなんといっても「自分」について深く考えた1年だった。大学生になって環境も変わって、新しい出逢いがあって、いろいろな人と関わる中で、あれ私って何だろうと思う瞬間が増えて。

ちょっと抽象的になるかもしれないけど、これまでの私について言葉にしてみようと思う。

私は話すのがあまり得意じゃない。人前で話すのが恥ずかしいからというわけではない。
自分の中に大きな概念みたいなものがあるのだけれど、言葉にしようとするとわからなくなってしまう。こうやって書いているときはまだいいのだけれど、話していると「私は○○だと思う、いやでも‪✕‬‪✕‬かな?それもちょっと違うな…△△かも」みたいな、矛盾が起こってしまう。これが話す前に頭の中で考え出すと言葉が出なくなり、話している最中だと自分も聞き手も困らせてしまう。ひとつの事をあまりに複雑に考えたり連想したりしてしまうので、自分の考えを一言で説明することが難しい。だから相手にも伝わりにくい。

言ってもどうせ伝わらない、という固定観念ができてしまって、自分の気持ちを言うことはほとんどなかった。いつ頃からだろう…。でも小さい時から薄々感じていることではあった。だから国語や道徳の授業で意見を言いましょうみたいな時間は本当に苦痛だった。ちゃんと考えていることはあるのだけれど話そうとすると言葉にできないし、黙っていると何も考えてない人みたいになる。辛かった。たぶん周りからはおとなしい人だと思われている。そうでもないのだけれど…。

ピアノも同じで。ずっと「よく弾けてるけど表現力があまりない」と言われることが多かった。私は表現したいものがあるし、ちゃんと感じているものもあるのにできない自分がもどかしかった。練習しても練習してもなかなか思い通りの表現ができずにいた。

思っていることが言葉にならない。
感じているものが伝わらない。

もしかして、私の心は空っぽなんじゃないか…

そんなふうに自信がどんどんなくなってしまって、去年の秋頃は本当に精神が病んでいたと思う。こんなに頭の中はイメージでいっぱいなのにどうやっても自分を表現できなくて、虚しくてしょうがなかった。なんで生きてるんだろうって何度も考えた。本当に自分が嫌になった。

そんなとき、大学のピアノの先生が言ってくれたことがあった。
いつも「表現が足りない」と言われていろいろな方向から私にアドバイスしてくださるのだけれど、その日は違った。

「あなたは、ちゃんと音楽を深いところまで感じられているけれど、あんまり音になってないね。もっと外に出る表現を磨いた方がいい」

え、そうそうそうなんですよ!それができなくて悩んでいるんですよ!!
そんなことを言ってくれた人は、私の外に出ていない内面に気づいてくれた人は今までいなかったから、涙が出るくらい嬉しかった。誰にも伝わらなかったけど、ちゃんと見てくれる人もいるんだなって。

「普通みんな技術や表面的なところは出来ているけどなかなか深いところまではわからないのに、あなたは逆なんだね」とも言われた。
要するに、自分を表現するための方法や技術が足りない、ということだった。

それを踏まえて周りの人を見たり自分について考えてみると、もしかして私の考えはあまりに抽象的で現実性がなく、加えて人よりも遥かに感じている量(という言い方は変かもしれない)が多いのかもしれない。

自分の考え、感じている何かを言葉や音など実際に感じられるものに変換する作業が必要なんだと気づいた。そのまま外に出すからわかりにくくなってしまうのかもしれない。自分の内面ばかり見るんじゃなくて、いい意味で他人と比べて、私はこうだな、違うなって考える。そうして自分の中にある"何か"を具体的にして形を与えたい。
そうだよ。自分の殻に閉じこもるんじゃなくて、もっと外の世界に自分をぶつけてみるべきだったんだ。

私の思っていることは皆に簡単に伝わるものではない。それを19年かかってやっと理解できた。
前にも書いたけれど、人と違う自分、よくわからない自分の解像度がまた少しだけ上がったような気がする。

なんでこんな回りくどく、面倒くさい生き方しかできないのだろうと思ってしまうけど、やはり私は普通になれない。他の人と同じようにはできない。ならとことん自分を深めて、等身大の自分を表現してみよう。


自分の理想を体現できるように。
そのために生きたい。

すごく長くなってしまいましたが読んでくださった方ありがとうございました^^

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