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アオバトと大磯町散策記

 その日の目的は、照ヶ崎海岸にやって来たアオバトをみるだけではなかった。7月29日、快晴であった。ぶらっと大磯を歩くことも目的であった。

 朝7時過ぎ、小田原発の東海道線で大磯に向かった。7時30分くらいに、大磯に着いた。国道1号線からいったん脇道に入り、また合流する中間点に大磯駅はある。

 小さな駅ターミナルの反対にステパノ学園がある。この森は、のちにアオバトにとって重要な森であることを知る。

 聖ステパノ学園は、澤田美喜さんがサンダーズ・ホームを立ち上げ、さらに学校までに仕上げた。戦後の偉大な文化遺産といえよう。

 ステパノ学園を挟むかのように国道1、ないしは海岸へ向かう道路があります。ボクはJRの職員に大磯のパンフを欲しいと伝えた。

 商業のパンフはあるが、公的機関のパンフはなかった。近くに地域の案内所を見つけた。行ってみると9時からとなっていた。

 途方に暮れたボクの前に、とても大柄で穏やかな表情の警官が現れた。「地域のパンフレットは交番にありますよ」尾行されていたのかと、ボクは思った。だが、悪いことをしている訳ではないので、交番へ行きました。

 いただいたパンフレットは、大磯町で発行している観光者向けのパンフレットであった。まさに、欲しかったパンフレットであった。一筆書で観光できるコースを描いた。また、今回は東海道本線よりも南側を中心に散策することにした。

【コース】 
大磯駅⇒大磯港⇒照ヶ埼海岸⇒鴫立庵⇒島崎藤村邸⇒松本順先生の墓⇒大磯駅 

 ボクは著名な場所をつなぎ合わせた。いただいたパンフレットの裏面は、全面が地図であった。今の立ち位置から、大磯港への行き方を確認する。単純に、南下する道筋です。国道1号線へ出るまで、ずっと、下り斜面でした。

 門構えの凄い家が何件かありました。一方、狭いところに何軒かが肩を寄せ合うような住宅もありました。極端に、半々でした。ほどなく、国道1号線を渡り大磯港に到着しました。

 漁港には、大きく分けて二つ役割があります。獲れた魚を卸売市場に出荷を目的とした漁港です。もう一つは、卸売市場に出荷もするが、仲買人が小売商に卸す市場を併設する漁港がある。大磯港は前者で、淡々と水揚げしランク分けを行い出荷する漁港である。

 ところで、大磯海岸は日本初の海水浴場です。明治初期に松本順先生が人々の健康を祈り、海水浴を唱えました。彼は、吉村昭著「暁の旅人」で知った。ボクはここの大きな石碑の存在を知っていた。しかし、今日初めて碑文を読み松本順先生の石碑と知りました。また、写真を撮った。

 そこを左に曲がり、堤防へ上がりました。照ヶ崎海岸海岸へ到着した。堤防の上から、快晴の海を見回しました。左には房総半島の先端が見えました。右には伊豆半島の先端まで見えました。しかし小田原でも、この風景はなんら珍しくはない。

海水を飲むアオバト

 驚いたのは、アオバトの集団飛来と岩礁での給水(海水)である。そこには長年、アオバトを観察する方がいると聞いていた。

 図々しくも、は声をかけました。十年以上、春先から晩秋まで定点観察をしているとのことであった。丹沢からアオバトがやって来る。1日に羽来るのか、群れは何回来るのか、若鳥の来る時期は、来ない冬場はどこに、なぜ照ヶ埼海岸に、なぜ海水なのか…。なぜはほぼ分かっているが探求は続ける。

「我々は、GPSなど使いません」。ひたすら、鳥を虐めず観察をします。いつかデータが役に立てば幸いです」と言われた。自然への素敵な向かい合い方を心得ました。

 次に、以前から気になっていた鴫立庵に立ち寄りました。藁ぶき屋根と引き締まった庭造りに感銘を受けました。ここにも、松本順先生の石碑がありました。

 地味ながら、この地を旅する人には重要な施設であると感じました。また、一眼レフを下げた壮年女性ワーカーが多かったと、ボクはびっくりした。ことさらに、健康そうな方々を多く見かけた。 

 さらに西方に歩き、適当な角を曲がり、迷いながら藤村邸に着いた。ここが藤村の終の住処と知らなければ、ただ手入れの行き届いた家としか思えない。ちなみに、ボクの家より小さい。ただし、植栽と垣根の手入れは、見事であった。

 ボクは藤村の小説はひととおり読んだ。「破戒」と「千曲川スケッチ」がいい。文才はあるが、生き方が不器用であることに魅力を感ずる。おまけに、全てを告白する。よせばいいのにと思う。

 この屋敷は、当時のサラリーマンの一生の給料に匹敵する額であると管理者に伺った。大磯が当時、それだけ価値ある土地だったと知りました。今は離れに身内が居を構えているとか。

 藤村邸は、町により無料開放されている。彼は、心が落ち着く出立であると感じた。彼は、自宅の植栽について再考をしくなった。下見板の建築に、ぐっと心を惹かれた。また、藤村がシンプルな時代作家であることも再認識をできた。

 ボクは藤村邸を出ると大磯駅方面に向かった。駅から一番近い東海道本線のガードを潜って、松本順先生の墓参りに行った。墓前に立ったボクは敬礼をした。それをもって、大磯半日の旅は終わった。


かわせみ💎

https://note.com/0602kawasemi

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